油によごれたヤカンに疑問を持ったとき、自分の習慣をうたがいました。

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たいていの人は、ひとつの家庭しか知りません。

わたしもずっとひとつの家庭で育ったものですから、祖母、母の家事しか知りませんでした。

ひとつの家庭、ひとりの母親を見て育ってきました。

二十年弱すごした実家、二十年弱ともに暮らした家族が基準になっていました。

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調理器具をみがく習慣がありませんでした

ヤカンイメージ

調理器具をみがかない、という習慣もそうです。

あたりまえのように、油でぎとぎとのヤカン。

側面に焦げつきの残った鍋、フライパン。

そういうものだと思っていました。

だって、毎日使っていれば、年月がたてば、汚れていくのはあたりまえだから、と。

いまにして思えば、古いもの、汚れているものに愛着を持つ習慣が、こうしてはぐくまれていったのかもしれません。

わたしはあたらしいものを身につける、持つのが恥ずかしいという気持ちがあって、それって、おさがりが多かったであろう兄へのひけ目だったのかもしれないです。

もちろん、あたらしいものに対するよろこびもあるのですが、恥じる気持ちが強いのです。

みがく、という習慣が頭になかった、わたしという主婦のキッチンはきたない。

当然ですね。

わが家にある大小の丸フライパンは、みがくという発想がまだなかった頃にながく使っていたので、周囲のこびりつきがひどいです。

フライパンの外側をみがく習慣があれば、ながく使っていてもここまで汚れなかったことでしょう。

長いあいだ使っていて多少の汚れがあったとしても、たいせつにされているものってわかりますよね。

わたしはたいせつにしてこなかった。

フライパンを、調理器具をたいせつに使うって、どういうことなのか、わかっていませんでした。

自分の習慣をうたがう

自分があたりまえのように毎日していることが、他人にとっては信じられないこと、非凡なことだったりしませんか?

毎日していること、毎日していないこと。

どうしてしているのか、どうしてしていないのか?

わたしの場合、キッチンに限定すると、ヤカンをみがかないことはあたりまえでした。

フライパンのまわりがコゲコゲなのもあたりまえ。

洗った皿は水切りカゴのなかで自然乾燥して、使うときには水切りカゴから取り出すのがあたりまえでした。

でも、そういう習慣をおしえたのはだれ?

見て聞いて覚えた家庭の習慣。

それっておかしいんじゃない、って気づいたから、変えられました。

実家の習慣が身について、わからなくなっていたけれど、いままでの習慣を変えてもいい気がして、ヤカンをみがきました。

新品のヤカンとは違うけれど、手入れのされたわが家のヤカンに愛着がわきました。

知らず知らずのうちに、わたしは実家のキッチンを、わたしなりに作ろうとしていたのです。

でも、わたし、実家のキッチンが好きじゃない。

ああいうふうにしたくないの。

でも、なってましたーァアアァァーあ。

というショックと混乱を乗りこえつつ、変えています。

ではまたー。

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