お盆に帰省しない今年、娘にいわれておどろいたこと。

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今年はいろいろあって、けっきょく帰省するのは夫だけときまりました。

わたし自身は日帰りで実家のお墓参りに行こうと思っていたのですが、母がわざわざ来なくてもいいというので、そうすることにしました。

こんな夏は、現在中1の娘を妊娠したとき以来でしょうか?

ほかにも、夫と娘だけが夫の実家に帰省した年があったような気もしますが、もう覚えていません。

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夫が実家に帰省した朝、娘のひとこと

風鈴イメージ

夫が実家へ出発するというので、見送りの玄関にわたしと娘がならび、アレ、息子がこないー、呼んでもこないー、夫ショーック、いってらっしゃいませー、となったわけですけれども。

で、けっきょく、わたしは自分の実家にも帰らないことにしたものですから、中学1年の娘にこういわれたのです。

「え? じゃあ、お墓参りにいかないの? ご先祖さまがかなしむよ~

ご、ご、ご先祖様がかなしむ?

娘の口からこのような言葉を聞くことになろうとは思わなかったので、おどろきました。

そういう表現をいったいどこで覚えたのでしょう。

自分が生まれたときから仏壇のある家

ところで、わたしの実家というのは、まず、仏壇ありきなのです。

仏壇、すなわち、仏様です。

この場合の仏様というのは、死者、ご先祖さま、もっとぶっちゃけていうと、祖父です。

戦争遺児である母にとって、生まれたときにはすでに死んでいた父親です。

母にとっての父親(わたしの祖父)というのは、さいしょから死者であり、仏様なのです。

祖父は次男なので、実家の仏壇は祖父のためにつくられました。

わたしはそういう家で育ったものですから、朝食のまえにかならず神棚を拝み、仏壇を拝む、という一連の流れがあったのちの、朝食でした。

これ、日課です。

神様、仏様に手を合わせる、というおさないときからの日課。

幼稚園のときにはもう、マッチに火をつけて、線香に火をうつし、振って消す、という動作をあたりまえのようにしていました。

信心深いとか、そういうことではないと思うのですが、神棚と仏壇に手を合わせるのが習慣でした。

わたしの実家にとって、つまり、母の家にとって(父は婿養子です)仏壇というのは、とてもたいせつな、けしておろそかにしてはいけないものでした。

なぜか、というに、仏壇=仏様=祖父(戦争遺児の母にとって生前を見たことのない父親)というわけで、母にとっての父親ですから、聖域みたいなものかもしれないです。

そしていま、仏壇には祖父のほかに祖母と兄が追加されています。

あと、母の姉(叔母)の写真も置かれています。

現在、実家の仏壇はそのようになっています。

わたしが、あるいはわたしたち家族が実家に帰省したときには、まず、仏壇に手土産を置き、手を合わせるのです。

それはもう、ぜったいなのです。

いまでは夫も心得て、そのようにしてくれるので、ほんとうにありがたいことだと思います。

いままであたりまえのように感じていましたが、そういうことを受け入れてくれない男性も世の中にはいるのではないでしょうか、と思いいたりました。アリガテエアリガテエ

わたしの実家の仏壇と、夫の実家の仏壇と、そのありかた温度差

仏壇にたいする接し方として、ほかのご家庭がどうなのかは知りようがありません。

ちなみに夫の実家は、かなりドライなご家庭でして、わたしどもの帰省のさいも、仏壇のことなんてすーっかり忘れて、帰りぎわになってお線香をあげたりします。

義母は嫁ですから、そういう感覚なのかもしれません。

夫の家のほうったらかしの仏壇を見ると、ちょっとうしろめたい気がします。

わたしの実家の仏壇には、かならず生花が飾ってあって、毎朝お水とごはんと、いただきものがあれば仏壇に供えてから食べるという習慣があります。

いっぽう、夫の実家は造花の花がさしっぱなし、お水とごはんは毎日はたぶんお供えしてなくて、お正月には忘れてたッと、義母がいってから、あわてておもちをお供えするような感じです。

また、夫の実家は長男の家なので、お盆のときは仏壇から位牌をいくつも取り出して、床の間に3段くらいの段をつくってならべて、お供えものを置きます。お盆には生花も供えています。

わたしの実家と夫の実家とは両極端だと思いますが、仏壇にたいする接し方って、自分の親しい身内が亡くなっている場合とでちがうのだろうと思います。

えー、と、義母はお見合い結婚でー、結婚生活についてはとてもとても、嫁として、妻として、たいへん苦労なさったわけですから、仏壇にたいして、あのように接しているのもいたしかたのないことなのではないかー、と思われます、たぶん。

そして、母にとっては、生きて会うことのなかった父親(わたしにとっての祖父)ですから、それはたいせつにいたします。

おそらく、父という男性の理想像だからね。

仏壇のある家、仏壇のない家

わたしの実家は仏壇のある家でした。

しかし、友達の家はわりと仏壇のない家も多く、毎日、朝食まえに拝む、という話をしたとき、おどろかれました。

わたし自身、仏壇のない家があるということが、よくわかってなかった、と思います。

家に仏壇がない条件としては、長男ではない(家を継いでいない、墓をついでいない)、その家から死者が出ていない、ということでしょうか。

友達の家は、その条件に当てはまっていました。

わたしもいまは、仏壇のない暮らしをしています。ありがたいことです。

父方の従姉の家には、おさなくして亡くなった従弟のための仏壇があり、不鮮明な白黒写真にうつる従弟の笑顔がありました。

いまになるとそのかなしみに思いをはせることがありますが、当時はわかりませんでした。

娘の発言に思う、ご先祖さま

さて、娘がいったいご先祖さまにどのようなイメージをいだいているのかはわかりません。

しかし、わたしが思っている以上に、娘は、わたしの実家にとっての仏壇の重要性を理解している気がします。

というのも、以前、わたしの実家に帰省したとき、わたしよりも先に階下に降りていた娘が、「もう線香あげたよ」といったことがあったのです。

もっとも娘にとっては、自分でマッチをすっていいというのが、ものめずらしかったのかもしれません。

いまどき、子供がマッチをする機会なんて、めったにない機会ですからね。

仏壇への線香については、母が目を光らせているときはともかく、わたしだけのときは「わたしがみんなの分あげておくからいいよー」っていう感じで、わりとかるくすませています。

夫は、実家に到着直後のお線香は忘れないのですが、毎朝のお線香はわりと忘れているのです。

そんな感じで、仏壇へのお線香を強制はしていないのですが、娘は感じるものがあるのかなーと思います。

わたしのは信心とかそういうのではなく、そういう習慣なので、毎朝お線香をあげるというだけなのですけど。

それにわたしたち家族以外にも、兄(←生きている)が来たときにはまず仏壇に手を合わせますし、その姿を夫も娘もよく見ているわけです。

兄も兄の子供たちも実家についたら、すわるまえに、まっさきに仏壇に向かいますから、ちょっと特殊かもしれません。

わたしにはあたりまえすぎて、その特殊さがわからなかったのですが。

それに、わたしたちがご飯を食べているときに、わたしの母がきてたずねることは、「仏様は拝んだかい?」だからね、インパクトあるかもしれんです。

家ごとにたいせつにしているものがちがうというか、そこで育っている人間にしかわからんことがあるよなーと思います。

夫が受け入れてくれる人でよかったです。

ではまたー。

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