捨てる行為に罪悪感があるとしたら、その罪悪感をだれかに肩代わりさせてはいけない。

ダルトン、ゴミ箱、缶 捨て活
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掃除が苦手です。

モノを片づけなければ、掃除機もかけられないのに、モノが片づかない。

片づかないから、掃除機もかけられないA型40代主婦です。

 

いっぽう、O型の夫は、モノがあったらあったまま、あいている空間に掃除機をかけて掃除終了です。

こうして書いてみると、なにもしないよりは夫のように四角な座敷を丸く掃くほうがいい気がします。

でも、丸く掃くくらいだったら、はじに寄せるだけでも片づけて掃除機をかけたい、のです。

というふうにして、ホコリを育てていました。

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ホコリをかぶっていくだけのモノ、モノ、モノ

ダルトン、ゴミ箱、缶

ゴミはきちんと捨てていましたが、ホコリは溜めこんでいました。

だって、ホコリはいたるところに溜まっていくからね。

 

たとえば、下駄箱の上になにかかわいいものを置いておく、というような。

そういうことをして、掃除をしにくくして、ホコリを溜めていました。

 

ホコリをかぶっていた置きもののなかには、だれかからもらった置きものがありました。

いただきものは捨てられない。

そんなふうに考えていた時期がわたしにもありました。

 

 

 

置き場所にこまったモノを袋につめて、棚の中にしまっていたこともあります。

でも、そういうものをいっぺんに捨てました。

そういう処分の仕方をえらびました。

 

モノを処分する方法として、わたしがいちばん選びたくない方法は、だれかにあげる方法です。

わたしの母方の伯母、つまり母の姉は、ときどきいらないものをダンボールにつめて母に送ってきたのです。

おもに衣類でした。

 

いまでも覚えているのが、伯母が息子(わたしの従兄)のはいていたパンタロンを送ってきたときのことです。

母はそのパンタロンをはいてみせて、笑顔で「はいる」と。ウレシイ?

 

そのようにして、妹というものはときにゴミ箱あつかいをされるのである、と。

そして、ゴミ箱あつかいされる妹(わたしの母)もまた、捨てられない世代ですから、娘(←わたしッ)をゴミ箱あつかいするのでありました。

 

30年前に買ったバッグ、ねずみにかじられたバッグ、そんなものすら捨てられずに、わたしにあげようとした母。

まー、そんなこんな、伯母や実母を知っているのでー。

 

捨てられないから、とだれかにあげることだけはするまい。

そう思って、捨ててきました。

 

捨てる行為に罪悪感があるとしたら、その罪悪感をだれかに肩代わりさせてはいけない、ということですよッ。

モノを捨てる罪悪感は自分で背負うしかないんじゃないでしょうか、てことで。

自分のものは自分で捨ててます。

 

ではまたー。

 

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