自分にきびしいから、他人にもきびしい。
自分がゆるせないから、他人をもゆるせない。
他人にたいする、きびしい考え方をする自分に驚いた、という話です。
失敗したらそれっきり。
わたし、そういうふうに考えていた。
USBをなくした先生
あるところに、USBメモリをなくしてしまった先生がいました。
担当するクラスの評価と連絡網が入っていたそうです。
ずいぶんさがしたけれど、見つからず学校へ報告しました。
学校は事の経緯を、臨時全校集会を開いて生徒たちに知らせました。
生徒は保護者あての手紙を持ち帰りました。
その手紙には、今回のUSBメモリ紛失に関する説明会の開催について書かれていました。
説明会を欠席した保護者に対しては、1件1件電話連絡、そして訪問による説明の要不要をたずねました。
翌々日にはUSBメモリ紛失が新聞に掲載され(先生の名前は出さず)、学校長と先生とに減給処分が決まったことがわかりました。
さて、このようなことがあった場合、先生はどうするのか?
わたしは、こういうことがあった先生は年度末によその学校へ行ってしまうのかな、と思ったのです。
USBメモリ紛失をチクチクからかわれて、耐えられなくなる先生を想像しました。
自分のせいで校長先生も減給って、ちょっと耐えられなくないですか、と。
でも、それって、わたしのわたしにたいする考え方なんですね。
1回失敗したら、おわり。
1回の失敗をチクチクくり返し考えて落ち込む。
たった1回の失敗でとりかえしがつかない、ゆるしてもらえない、と思っている自分。
そう気づいて、ウッとなりました。
実際には、先生は転任することなく、翌年にはおなじ学校で担任を受け持っています。
過ちを犯しても、それっきり、終わってしまうわけではありません。
でも、わたしは、失敗したらもう取り返しがつかない、と思っていました。
その思いこみが、自分の行動を、慎重に、臆病に、一歩踏み出せない、ってしていたのではないか!
ということだ!
気づいたとき、ズーンと、なんともいえない気持ちになった40代主婦であります。
思いこみ、すりこみ、ですね。
そうしたもろもろが自分を作っているわけだよね?
そんな自分、ですよ。フヒィー
ではまたー。