わたしが30代の頃に、アラサー、アラフォーという呼び方を耳にして。
そっか、わたしもアラサーかぁ。
と思ったら、この数え方ってば四捨五入だから、いきなりアラフォーだったわけ。
アラサーを名のったことなく、いきなりアラフォーですよ。
それで、さきに40歳を過ぎた人々の言葉が、いまになってわかるわー、というのがあってですね。
「40歳を過ぎたから、いままでのレシピから変えようと思って」
↑はだかのくまこ
そういったのは自分の生き方に意識的な人でした。
その人は「テレビは自分が見たいときだけ出して、自分の見たいテレビ番組を見る」と発言して、みんなはエーッてなったけど、わたしはそのくらいがいいよねって、思ったので、自宅のテレビが壊れたときにテレビを買い替えなかったんです。
子供中心のテレビというか、テレビが中心の子供というか、なんでそこまでテレビに振り回されなきゃいけないのか、っていう。
あと、その人は新築したばかりのおうちがきれいでした。
いまどきのナチュラルテイストなお宅でした。
そして、家庭をたいせつにする人。
高校生のときに母親を亡くしたそうです。
母親は、米を洗ったとぎ汁を、そのまま流さずに、発酵させて植木にまいていたそうです。
(話に聞いたことはあったけど、実行している人の話を聞くのははじめてでした。主婦力ハンパない)
この母にしてこの娘あり、という感じがしました。
そういう、主婦力とか家事力とかの高い女性の発言です。
「40歳を過ぎたから、いままでのレシピから変えようと思って」
だからこれまで持っていたレシピ本を一掃した、という話でした。
当時のわたしには、わからなかった。
ふーん、そうなんですか、っていう感じ。
その後、40歳を過ぎまして、心の変化、身体の変化などございまして、それでようやく「40歳を過ぎたから」発言が、なーんとなくわかるような気がしたのです。
変わるはずのないもの、なんてないのです。
自分は変わらないつもりでも、日々変わっていくもの。
だったら、自分から変えていく。
わたしがいっきにものを捨てたのは、恥ずかしながら40歳を過ぎてからでした。
周囲の変化、自分の変化に敏感になるということ。
周囲というのは、わたしの場合、家族、とくに子供たちです。
子供たちの変化は早いです。
でも、大人だって変わっていく。
そして、大人は意識的に自分を変えていこうとできます。
いや、むしろ、大人こそ、意識を持って変えようとしなければ変えられないのかもしれない。
でも、変えられるのは自分自身だけ。
夫婦、親子でさえ、相手を変えることはできない。
だから自分が変えられることを、自分から変えていく。
そういう40代です。
ではまたー。