実家から持ってきた裁縫道具があります。
実家の裁縫道具はなくなった祖母のものであり、母は自分の裁縫道具といえるものは持っていませんでした。
わたし自身もそうでしたが。
実家にいるあいだはずっと、祖母の裁縫道具から借りてつかっていました。
祖母の裁縫箱は、ふたもなにもない、四角い木の箱です。
つけ加えるならば、年季の入った、味わいのある、木の箱です。
四隅がすり減ったような、そんな木の箱が、祖母の裁縫箱であり、つまりはわが家の裁縫箱でありました。
わたしが小学校、中学校とつかっていた裁縫箱もあったはずですが、あれは学校でつかう教材であって、家での針仕事をするものではない、というような気持ちがあって、学校以外でつかったことがありませんでした。
祖母の裁縫箱から持ってきたもの、印つけ
そのひとつが印つけです。
鹿の角だって聞いたけれど、ほんとうだろうか?
祖母の持ちものだったこの印つけが、鹿の角かどうかはわからないのですが、動物の角でへら(印つけ)をつくるというのは、よく知られたことであるらしい。
牛骨、象牙もあるって
いまどきはプラスチックですよね。
そして、いまどきはつかわないですよね。
祖母の裁縫箱から持ってきたもの、木の糸巻
祖母の裁縫箱に入っていた糸巻のなかで、黒のもめん糸を巻いている糸巻きだけが木製でした。
よく見ると、糸巻きのはじに欠けたような部分があるのですが、それは祖母が糸の先端をひっかけるため、糸切バサミでつくった切りこみのなごりです。
切りこみを入れても、すぐに欠けちゃって、また切りこむという。
しかも、糸切バサミでやってしまうのです。
祖母の裁縫箱から持ってきたもの、まち針
祖母の小さな化粧台があって、そのなかにつかいかけのあたらしいまち針が入っていました。
赤、黄、緑の3色で、サイコロ状の台紙に刺さっていました。
つかいかけだったので、ぜんぶで30本もなかったと思います。
祖母の残したまち針、これがまた、先端のとがり具合がよくって、わたしがそのへんで買ったまち針なんかとくらべものにならないのです。
おおきい手芸店に行けば、このくらいのいいものが売っているのかもしれませんが、いまわたしが手軽に買える範囲だと、布どおりの悪いまち針しか手に入らないのです。
こうした道具は、針仕事を快適にしてくれて、作業効率もたぶんよくなっています。
道具なんてなにつかってもいっしょ、ってものでもないのです。
祖母の裁縫箱から持ってきたもの、白いもめん糸
いまみたいなつかい方だと、わたしの一生かけてもつかい終わらないだろうなぁ、というのが白いもめん糸です。
もちろん、黒いもめん糸もつかい終えぬまま、生涯を終えるのかもしれないです。
ああ、いったい祖母はまいにちなにを縫っていたのだろう、と思うくらい、なにかを縫っていました。
たいていは、つくろいものでした。
いちど、わたしのパンツのまた部分が、あて布をされてつくろわれていて、さすがにそれははきごこちが悪くてはけませんでした。
この白のもめん糸は、かせで買ったのをわたしの両腕に通して、祖母が巻き取っていったものだと思います。
これでもだいぶ減りました。
さいしょは4cmくらいの厚みがあるくらい、もめん糸がぐるぐるに巻かれていたのです。
さらに祖母がつかっていたふっとい針に糸がとおったまま、刺してありました。
祖母の残した裁縫道具を見ていると、小学生の頃の自分を思い出します。
祖母の裁縫と時代劇。
夕方は、いつもそんな感じでした。
むかしの時代劇の再放送って、くり返しくり返し放送されてました。
夕方4時といえば、時代劇でした。
ではまたー。