子供を産み育てるまえと、子供を産み育てているいまでは、だいぶ考えかたが変わりました。
自分でいうのもなんですが、だいぶ、寛容になりました。
あー、よいよい。
というような。
たとえば、娘のおむつをはずしたいと思って、紙おむつから布おむつにしていました。
そして、むれてしまった娘のおしりを乾かすために、おむつをあてない娘を部屋にあそばせていました。
するといつのまにか、娘が床におしっこをしているのでした。
ぼうぜんとする母(わたし)、当時30代主婦。
現在、中1の娘と、小2の息子を持つ40代主婦の回想です。
クエン酸にはお世話になりました、シュッシュー
どうしても、娘のおしっこのタイミングがわからなくて、ひどいときには1日に5回くらい、床におしっこをされました。
クエン酸をシュッシュとして、後始末をする30代主婦(かつてのわたし)は、ううむと考えました。
おしっことおしっこの間隔が長くて、娘のおむつをはずしたことをわすれて、家事をしたりしているうちに、床におしっこ。
弧をえがいて床に放たれるおしっこを見る、母のやるせなさといったら。
しかも、おしっこの音で気がつくという、なさけなさですよ。ジョボボボ
こなくそ、と思った当時30代の主婦が考えたのは、弧をえがくおしっこを、風呂おけでキャッチしたらどうか、ということでした。
当時30代の主婦は、部屋のすみに風呂おけを配置しました。
毎度のことながら、娘が床にむかっておしっこを放ちました。
いまだといわんばかりに、当時30代の主婦は風呂おけを片手に娘に駆けよって、とちゅうからおしっこキャッチに成功!
やった、どうだ、半分くらいはおけにキャッチしたぞォォオオ。
当時30代の主婦(いま思うとおむつはずしに追いつめられて、大丈夫かと思うレベル)は、風呂おけで娘のおしっこを半分くらいキャッチできたことに満足し、次回にそなえて、また部屋のすみに風呂おけ(洗浄済み)を配置したのです。
すると、おどろくべきことが起こりました。
娘にたいしては2回、「天才か?」と思ったことがある
なんと、わたしがなにもいわないのに、娘はつぎのおしっこのとき、自分から風呂おけのまえに立って、おしっこをしたのです。
「天才か?」
わたしは娘の学習能力におどろきました。
その後、風呂おけはおまるに替わり、おまるは便座に替わりました。
わたし自身おどろいたのは、わたしは娘にたいして、「おしっこを風呂おけにしろ」なんてひとこともいわなかったのです。
いやー、だって、人間のわが子にたいして、風呂おけにおしっこをしろというのは、なんというか、動物的な気がしまして、いえなかったわけでして。非常時ではあるまいしー。
それで、娘が風呂おけにおしっこをした夜に、あわてて夫と話して、おまるを用意したというわけなのです。
おまるを用意する場所は、トイレのちかくがよいらしいのですが、さいしょに風呂おけを置いた場所が部屋のすみだったので、おまるもしばらくその場所に置いていました。
部屋のすみで用を足す子供、シュール、超シュール。
子供というのは、わたしにとって非日常的な、ふしぎな存在で、信じられないことや、理解できないことや、よくわからんなー、と思うことが日々くり返されるのでした。
自分のおなかの中から出てきたナゾ、といいますか。
まあ、そんな娘もいまでは中学1年生、すっかり人間臭くなったなーと感じます。
ではまたー。