家にテレビがない話は、わざわざ他人にいうことではないなー、と思います。
テレビがない話をすることで、投げかけられる疑問、質問、奇異のまなざし、それから、「へぇええ、変わってるね」というようなその人なりの結論というか、わたしにたいする判定っていうか、位置づけ。
テレビにかぎらず、普通一般に持っているであろうものを、持っていない、使っていない、そういうことにたいする他者からのご意見、ご感想、ですね、そういうの。
でもテレビって、そんなに見てますか?
テレビなしで、実家を出て下宿暮らしのころ
そういえばテレビなんて持ってなかったな、というのが浪人時代でした。
家具らしい家具も持たずに、老夫婦の2階で下宿生活をはじめました。
→持ちネタのひとつやふたつくらい持ってるほうが人生ゆたかだよね、という話。
当時の持ちものとしては、布団と服と身のまわりのものでした。
テレビなんてもちろん持っていません。
ゆいいつラジオだけがありました。
まあ、浪人生ですし、テレビなんていらないですよね。
だから当時流行の、トレンディドラマを見ていないのです。
もともと週1でテレビドラマを見るのがめんどうで、見るなら再放送でガーッといっきに見たい性質でしたし。
テレビを見る時間がなかったころ
人生でここまで働いたことがあっただろうか、という14時間労働時代がありました。
身内がらみのことですが。
どうしても、ブラックなことになってしまう、自営業、飲食店です。
あれはもうほんとうにテレビを見る時間がなかったなーという時期でした。
モー娘。のころです。
モーニング、こ? こ? と読むのかなこれは?
というように、芸能人がわからなくなったさいしょがこのころでした。
テレビがないことの不便
テレビがなくてこまらないの? と聞かれたことはないです。
だって、テレビがなくてもこまらないってことは、だれにでもわかるからじゃないかな。
なくてもこまらないんだよね。
でも、おそろしいことに、テレビをつけることがクセになっているんですよね。
わたしがいまでもテレビをつけそうになるのは、地震があったとき、けっこう揺れたなぁと感じたとき、ついテレビの地震速報を連想してしまいます。
はっきりいって、脳内ではリモコンをぽちっとして、NHKの地震速報をつけています。
そのくらい、くせになっています。
あと、見たかったな、と思ったのはフィギュアスケートの生中継かなー。
オリンピックもテレビがあれば見たと思いますが、オリンピックがはじまるからテレビ買わなくちゃ、って考えにはならなかったんですよね。
スポーツ中継が好きな人には、テレビは必要だと思います。
わたしも夫もスポーツにとくに興味がないので、テレビのない生活をつづけられているのでしょう。
テレビのない家庭の子供たち
子供たちは、おまけです。
わが家の子供たちは、もしかするととんだとばっちりを受けているのかもしれないです。
まさか、この平成の世の中に、テレビのない家で育つことになろうとは。
まぁ、逆に考えてみるんだ、すべてがそろっている家なんてありはしないんだ、と。
すべての家庭は、すべてどこかしら欠けているものなのだ、と。
わが家の場合、それがテレビだったり、自動車だったりするのだ、と。
テレビとは、一般的には持っているかもしれないけど、持っていないのもありだな、というものなのだ、と。
そんなふうにして子供をけむに巻く方法なんて、いくらでもあるのです。
人はね、生まれをえらぶことはできないんだよ、家族とは呪いみたいなものなんだね、そんな話をせつせつと語ってゆきます。ハハハハハー
そのうちに子供もわかってきて、ゆっくりとあとずさりをして、立ち去っていこうとします。
さいきん娘が、ひとり旅とか、ひとり暮らしとか、いい出しました。
かつて、弟(息子のこと)と結婚する、家から出ない、といっていた娘が、中学生になったと思ったら、すぐこれです。
シェアハウスとか、いっていました。アー
たぶん、娘の頭のなかでは、高校生になったらバイトしてー、お金を貯めてー、などと妄想がふくらんでいるのだと思います。
そういう時期だよね。
「ぼくもういかなきゃなんない」ってことですよね、そのうち。
たのしみです。
谷川俊太郎(著)