子供が自分で勝手に食べるくだものって、ミカン、バナナまでかなァ。
いよかんになるとね、自分では皮をむいて食べないんだけど、大人が皮をむきはじめると近づいてくる感じ。
夫も、たいていはバナナまでです。
ただ、わが家はリンゴが山ほど送られてくるので、リンゴにかぎっては夫も包丁を持ち出してせっせと食べます。
だれかが皮をむいてくれたころ
わたしの場合は、祖母です。
祖母というのはすごい存在で、ちまちまといろいろなことをやっておいてくれるのです。
にもかかわらず、孫の思ったとおりじゃないと、孫が怒りだしたりするんだから。
ある秋に、「冷蔵庫に栗がむいてあるよ」と祖母がいいました。
冷蔵庫を見ると、わたしの茶碗に皮をむいたゆで栗が山盛りになっていました。
当時、わたしは高校生でした。
上の兄2人は家を出ていて、すぐ上の兄とわたしの2人だけが、祖母にとって家に残っている孫でした。
いま思うと、世話を焼く対象が2人になっていたんですね。
すぐ上の兄はバイトばかりして、あまり家にいませんでした。
そのゆで栗も、わたしの分だけでした。
祖母は、自分でも皮をむいたゆで栗をつまんで食べたでしょうか。
子供にいよかんの薄皮をむいてあげながら、自分の口に運ぶのを忘れていた40代母です。
わたしのむいたいよかんがボウルに入るのを待って、小さな手が伸びてきます。
わたしはすっかり、皮をむいてあげる側になって、薄皮までむいてあげるのは過保護ではあるまいか、と思いながらも、やっぱり祖母がしていたように薄皮までむいてしまいます。
高校生のわたしに、皮をむいたゆで栗を食べさせてあげようと思った祖母の気持ち。
(その年がわたしがおなかいっぱいゆで栗を食べた最後でした)
思うに、わが家の子供たちにとっての祖父母は、そういう存在じゃないんですよね。
いっしょに暮らしていない祖父母というのは。
わたしの場合、父が婿養子だったので、いっしょに暮らしていた祖母というのは母方の祖母です。
順番だから。
いまは、わたしが皮をむく番です。
自分がいよかんを食べるつもりで皮をむきはじめたのに、なぜだかきれいにむけた分をボウルに入れてしまいます。
匂いに気づいたのか、子供がやってきてボウルに手を伸ばします。
口いっぱいにいよかんをほおばる子供を見て、満たされる年になった、と申しましょうか。
ときどき、そういうおだやかな境地にいたることがあります。
ゆきつもどりつですけれど。
子供の食べる姿はよいものです。
(暑さ寒さも彼岸まで)
ではまたー。