娘が読み始めた本のタイトルを知っています。
「14歳からの哲学」です。
そう、娘が「わたし、哲学を勉強したい」といい出したのです。
内心(えッ?)と思いながら、「それなら、14歳の哲学とかいう本がいいらしいよ。たしか、よりみちパンセだったかなァ」と答えた40代母です。
14歳の哲学じゃないし、よりみちパンセ(正確には、よりみちパン!セ)でもなかったし。
「14歳からの哲学」は名著←ってどこかで見かけたんだ
娘は、いま13歳なのですが。
とてもうれしそうに、池田晶子さんの「14歳からの哲学」を読んでいます。
「この人は14歳じゃないのに、いまのわたしの気持ちをわかっているスゲェエ」ということらしいです。
友達について、とかね。
40代母がほっとしたのは、そういう本を読むことで、娘なりに考える習慣ができてくるのではないか、と思えたからです。キタイ
親でも先生でも友達でもない、本の言葉から、自分から考えていくこと。
いまの生活を、いままでとはちがう考えで見てみること。ウタガエ
とりあえず、自分の頭で考えるクセを。
いまの社会のいまの立場のいまだからこそ、いまのあなたなのであって、それを変えることだってできるんだ、とわかってほしい。
ちょっと不安なのは、娘と口頭でヘリクツ合戦になったら、たまらんかもしれないですね、と。
熱くなったら、負けるなァ、これは。
そんなわけで、とりあえずわたしも「14歳からの哲学」を読んでおかないとマズイ、と思ったわけです。
そう、わたしは「14歳からの哲学」を読んでいません。
どこかで評判だけは読んでいて、コレいいよォーっていうから、娘にすすめてみただけの40代母です。
やっぱり、娘はわたしが読んでいる、って思ってるのかな、読んでないんだけど、っていった気もするけど、なんかもう覚えてないんだけど。
とりあえず、急いで読んでおこうと思って、40代母が買ったのが池田晶子さんの「14歳の君へ」
あれ? ナンカチガウ
またまちがえた、これは「14歳からの哲学」じゃないじゃないかー。
こういうミス、まちがいをおかすのが40代母の40代たるゆえん。
そう思うことにして、「14歳の君へ」を読み始めました。
「14歳からの哲学」と「14歳の君へ」は、内容的にあまり変わりないが、読みやすくエッセイ風に書いたのが「14歳の君へ」なのだとか。
ならばよし。
40代のわたしにとっては、30年ほど遅いけれども。
遅まきながら読んでおります。
ではまたー。