先月、今月と皿が割れています。
皿は使えば割れるもの。
皿は洗えば割れるもの。
そのくらいの気持ちでね、息子の皿洗いをほほえましく見守ったり、夫の皿洗いに感謝したり。
そういうわけだから、わたしが割ったわけじゃないからッ。
4枚そろっていた皿が、3枚に
4人家族、4枚そろって、4等分。
しかし、3枚になったからといって、すぐに買い足す気持ちがわいてこない。
そもそも皿って、わたしがそーんなにこだわらない部分なんですね。
欠けている皿を使うのはいやだけど、食器を統一するこだわりもなく、食器を買う癖がありません。
わたしはこれまでに、マグカップをどれだけ買っただろうか?
と問いかけてみますと、3個しか思い出せないのです。
そのうち2個はいま使ってるムーミン。
残るひとつは小学生のときに買ったホーローのマグカップの記憶。
コップに関しては、5個。
いま使ってるのが4個。
ごはん茶碗や湯飲みはもう少し買っていると思いますが、自分が選んで買ったものというのは、食器に関してはことのほか少ないです。
実家にいたら、食器なんて買う必要がないですし。
食器、タオルはもらって使うもの。
いただきもので、十分まかなえてしまう、それが食器。
そんなすりこみがあるような気がします。
ガラス食器のすてきなのがあったら、欲しくなる気がします。
でも、いまある食器で十分な生活だから、すてきと思っても買わないんじゃないかな自分。
いやまて、生活をすてきにするために、いまある食器を捨てて買い替えるのが正しいんじゃないかな。
正しいのかな?
だいいち正しくなければいけないのかな?
ものの判断基準をどこにおくかね?
とかなんとか考えているうちに、皿のことなんてどうでもよくなってしまうわけなのです。
ではまたー。