デジカメは、写真文化を変えたよね。
とりあえず撮っておく、ということができて、かずうちゃ当たるとばかりに撮りまくったあげくがこれだ。
という状態の、写真フォルダをながめて、がくぜんとしておるしだいであります。
チェックポイントは、自分
もう、これはある意味、終活だから。
自分のゆるせる自分だけを残しておくんじゃー。
となりで子供がすてきな笑顔だとしても、自分の写りがわるかったら即削除じゃー。
そういう、自分本位で写真データの捨て活を始めました。
いまのカメラから約2年分。
たまってます。
あたらしいカメラに調子づいてしまったみたいに、写真データがたまっています。
それを、さくさくと消していって、2015年分は終了。
2016年になって、ほぼ毎日のように写真を撮っているのはブログのせいです。
過去への追憶、はんぱない。
1、2年ですら、こんなよ。
子供たちの表情が、ずいぶんかわったなーとか。
自分を客観的に見るには、写真って容赦ない、残酷だな、と。
スマヌスマヌとだれとなくわびて、さくさく削除。
スンマセン、自分が見るにたえなくて。
写真を撮りっぱなしにしない
ある人が、1年に1日、写真を整理する日をもうけている、という話があって。
その日に1年分のアルバムを作って、それでその年1年の写真を終わりにするのだ、と。
たしかに、そのくらいの時間のかけ方をして、それでもうおしまい、としたほうがスッキリするだろうね、と。
厳選された写真でアルバムを1冊作って、おしまい。
1年に1冊って、手帳みたいな感覚である。
イベントが多かろうが、子供が増えようが、1年に1冊。フムー
きっちりまとめができると、これでおしまい、と区切りがついていいですよね。
ではまたー。