今年も母の日を目前にドンヨリしていた40代主婦、妙案が浮かぶ。

贈り物、プレゼントイメージ つぶやき
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ちかごろまた、チクチクと母親のことを考えていた40代主婦です。

この場合の母親とは、わたしの実母のこと。

田舎で暮らす老母のことであります。

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母親にモノをあげる行為

贈り物、プレゼントイメージ

わたしが未婚だったころ、母親へプレゼントしたのは2回です。

1回目が小学生のとき。

はじめておこづかいで母の日のプレゼントを渡したら、母親に「こんなものより、おかきのほうがいい」といわれました。

このときはかなりショックで、その後、母の日にプレゼントをすることはありませんでした。

もともと母の日にプレゼントを贈る風習が実家にはなく、兄たちもそんなことをしたことがありませんでした。

当時のわたしは友達と連れ立って遊んでいるときに、そういうことをしてみようとなったみたいです。

2回目が高校生のとき。

友達が母親に指輪(1,000円くらいのファッションリング)を買うというので、わたしもいっしょに買ってみました。

このときは、母親がよろこぶかどうかをためす気持ちでプレゼントしたのですが、やっぱりよろこびませんでした。

だから、わたしは小学生のときよりもショックを受けませんでした。

友達は、母親がすごくよろこんだ、という話をしていました。

うちはチガウんだなァー、みたいな気持ち。

その後、わたしが結婚したので、母の日のプレゼントをあげることになりました。

色や形についてダメ出しをされること数回。

兄嫁たちからのプレゼントにも、両親がごちゃごちゃと話しているのは知っているから、まー、そんなもん。

でも、陰でいわれるのと直接いわれるのとはちがう。

捨て活をしてからは、プレゼントとはあげる側の自己満足、相手からよろこばれることを期待しない、義務としておこなう、といい聞かせています。

捨て活では、プレゼントされたものもずいぶん捨てましたから、贈りものはやりとりされた時点で終わっている、と考えるようになりました。

あと、母はながいあいだ夫の母に冬の下着を送っていたらしいのです、が。

母は「年寄りのことは年寄りがいちばんわかっているんだからね」と得意げにいっていました。

しかし、夫の母はそもそもサイズがちがうし、そうかといって毎年送ってくるからこまる、とわたしにその下着を送ってきました。

母はちっともわかってない、ということです。

つまり、とっても自己満足。

これぞ、プレゼントの真骨頂だな、という気がします。

今年の妙案

だからさ、このどうにもならない、このわたしのユーウツっぽい感情。

今年は、娘とともに選びました! みたいなノリでいこうと思うんですよ。

娘はすなおにプレゼントが選べるから、予算と色の好みだけ伝えて、われら母娘で相談しながら選んだらいいんじゃないかなー、と。

この2年くらいは母親からのダメ出しもなくなって、電話口で商品の感想について述べるくらいで終わるのですが、わたしには習性が染みついていて、母からの電話に身がまえていて「ああ、そう。ああ、よかったね。へー、そうなんだ」みたいな。

へーほーふーん。

そういう、うわっつらの会話しかできないんだ。

本音? 本心? 感情? そういったものは、母親との会話においては、ややこしくなるだけだから、よそに置いておきます。

母は、自分の話を聞いて欲しいだけ、自分の意見を肯定して欲しいだけ。

そういう返答だけを求めている、とわかっておどろいたけど、なっとくした40代娘です。

ま、そんな感じです。

ではまたー。

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