夫の実家に帰省したときのことです。
現在、親類のお嬢さんがケガをしておりまして、その経緯もだいたい夫から聞いております。
それはなんとかならなかったのかな、と感じることがあって。
なんだろう、と思って考えてみまするに、こんな感じのこと。
大丈夫、大丈夫

まあ、すごく、いい子なんですよ。
とてもよくできたお嬢さんなのです。
お勉強もできるし、お料理もできて、お部屋もスッキリ片づいているのだそうです。
とにかくそういう感じのお嬢さんで、だから、帰省中にお会いしたときもにこやかだったし、とても明るくふるまってらしたし、ケガをなさっているけれど「大丈夫、大丈夫」と部屋に入ってらしたんですよね。
でも、ほんとうは大丈夫じゃないと思うんですよ。
歩くたびに痛い、といっていたし。
両松葉づえで二次骨折がこわい状態で。
そんななかで新生活がスタートしたし。
まー、わたしからすると大丈夫じゃない状態だと思うのですが、そのお嬢さんは大丈夫大丈夫で、明るく。
もう、たらればの、どうしようもないことなんですけども。
そのお嬢さんのケガは、友人らと行ったスキーの初日に起こった事故でした。
救急医というのかな、その場で見てくれたお医者さんの見立てはヒビ。
それがまちがっていたわけなんですね。
あとになって、あれこれいうことはできるわけですし。
ただ、もし、そのお嬢さんが「死ぬほど痛かった」といっていたその痛みをそのまま友人に伝えていたら、スキーの初日といっても、帰ってきたと思うんですよね。
たとえば、大きな声で自分の痛みをうったえることができる人だったら、その後の経過がちがっただろう、と思うのです。
でもおそらく、そのお嬢さんは「大丈夫、大丈夫」って友人にいったんじゃないかなって。
死ぬほど痛いのをがまんして「大丈夫、大丈夫」って、笑顔で。
なんだか、そんな気がするんです。
そうでなかったら、友人だってケガ人を置いてスキーしないと思うんです。
そんなわけで、そのお嬢さんの「大丈夫、大丈夫」は、かなりヤバイ領域にまで達しているような気がするんです。
これが大丈夫だとしたら、どこで大丈夫じゃなくなるんだろう。
ということなんですけど。
まー、わたしにはなんともしようのないことで。
ただなんだか、そういうモヤモヤした気持ちを書いておきたくなったのです。
ではまたー。