週末、40代夫は図書館へ本の返却に行ってきました。
そして、『スクラップ・アンド・ビルド』( 著・羽田圭介 )についての感想をのべました。
さいきんの夫は、どうやら純文学を読み始めたみたいです。
『スクラップ・アンド・ビルド』は、第153回芥川賞受賞作だそうです。
夫の読後感想を聞いた、わたくし40代妻は、その小説および、その作者の作品を読んだことのない状態で、いろいろとてきとうに答えています。あしからず。
※以下、夫の語ったあらすじを書くことによって、ネタバレしています!※
ラストが中途半端、と夫はいう
夫がいうには、小説のラストが中途半端だった、というのです。
40代妻「純文学ってそんな感じじゃないのォー」
40代夫「あの小説、読んだ?」
40代妻「 読んでない。ぱらぱら、見たけど。おじいちゃんを介護している話? お母さんの言葉づかいがきびしいかった。実の親子?」
40代夫「 実の親子。その息子が28歳くらい、たぶん。働いてないんだよ。なにかの資格を取ろうとしているんだけど取れないんだよね。むずかしい資格、……会計士だったかなー? 資格を取ろうとして、何年も落ちてて、勉強にも身が入らないし、就職活動しても落ちるし」
夫による『スクラップ・アンド・ビルド』あらすじ
主人公は、母親と介護が必要な祖父と暮らしている。
主人公は長年資格も取れず、そうかといって就職もうまくいかない、無職。
主人公は、祖父を本気で介護して、祖父が自分でなにもできないようにして、殺そう、と決意する。
祖父を介護しているうちに、自分の身体をきたえはじめる主人公。
身体をきたえはじめたら、就職活動の面接でもハキハキ答えられるようになっちゃって、就職が決まった!
就職先は地方だから、実家から離れることになった主人公、祖父に「おまえもがんばれよ」と声をかけられつつ、終了。
ハッピーエンドですね。
この終わりの、なにが不満なの?
夫が『スクラップ・アンド・ビルド』に望んだラスト
この作品を読んでいない40代主婦は、あらすじを聞いても、夫がなにを不満に思ったのか、わかりませんでした。
話の途中で放り投げるような作品なのかと思ったら、ちゃんとラストは大団円じゃないですか。
「じゃあ聞くけど、読者として、あなたはその作品にどんなラストを望んだわけなの?」
不思議に思って、夫にたずねました。
夫はすこし考えてから答えました。
「主人公が計画通りに祖父を殺して、それを反省して終わる、みたいな」
あー。
「それ、70年代とかにありそう」
わたしは、ばっさりと答えました。
てきとうにいってますけど、つまり「それ古いよ」ってことを夫に伝えたかったのです。
あらすじを聞いたわたしが、おもしろいな、いまどきだな、と思ったのは、暗い発想から始まった祖父の介護から転じて、主人公が自分の身体をきたえる、という点です。
わたしは、ある汚部屋脱出エピソードを思い出しました。
自殺しようとしてモノを捨てて、掃除をして、とつづけていたら、ものごとが好転していって、いまはいい感じで生きています、みたいなの。
主人公のしたことって、祖父の世話をすることによって、自分の世話をすることになり、結果、事態が好転した、というポジティブな流れじゃないかな。
資格取得にこだわって、はんぱな就職活動をつづけていた主人公が、「祖父の死」という後ろ向きな目標を持ってがんばっていたら、なんだか前向きになっちゃった、という。
スクラップが祖父で、ビルドが主人公、と思ったのですが、スクラップが序盤の主人公で→(筋肉)→ビルドが終盤の主人公、とも考えられます。
まずは、身体を動かせ、ってことじゃない?
ほら、ブンガクする人々って、頭のなかだけだったりするじゃない?
イメージ的に。
だから、身体動かせよ、変わるぜ、っていう自己啓発本的な一面があるんじゃないの、と思いました。
まー、わたしは読んでいないんですけどね。
夫のつぎの読書
わたしの意見を聞いて、夫が納得したかどうか、わかりません。
そして、夫はふたたび純文学を借りてきました。
また、芥川賞受賞作です。
『蛇にピアス』(著・金原ひとみ)です。
当時、若い女性(19歳と20歳)のダブル受賞で話題になった、と記憶しています。
おぼろげなあらすじしか知らないのですが、わりと刺激的な内容の話ではなかったかしら。
40代夫の読後感想を聞いてみたくなる作品内容ですね。
夫には新井賞のつめのあかでもせんじて飲ませたい。
そんなふうに考えてしまう40代妻です。
新井賞について→直木賞のすべて>文学賞の世界>文学賞一覧・小説全般(非公募)>新井賞
ではまたー。