部屋をゴミ箱にしないために、もったいないといわない。

ダルトン、ゴミ箱、缶 捨てたもの
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息子を出産したあと、一時期、ダイエットをしていたことがありました。

そのときに心がけていたことのひとつに、家族が残したものを食べない。

という決まりがありまして。

 

というのも、「もったいない」といって、残りものを食べるのは、自分の胃袋をゴミ箱にしているのといっしょだからです。

(って、むかしテレビでテリー伊藤がいってたー)

 

おなじように、もったいないという理由だけで、ものを捨てないのは、部屋をゴミ箱にしているわけです。

ダルトン、ゴミ箱、缶イメージ

 

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もったいないけれど、捨てる

わたしがダイエットして、体重を減らしたとき、やはりいろいろな人に聞かれました。

(わたし)「残りものを食べないで、捨てちゃうんです」

「え、でも、もったいなくない?」

(わたし)「夕飯の量を減らして、そのあとは食べないんです」

「だって、おなかすかない? そのあと3時間以上は起きてるでしょう?」

(わたし)「お茶かお湯を飲みます」

こうしたやりとりをして思ったのは、ダイエットに関心はあっても、じっさいに実行する人は少ないのだということ。

ダイエットを実行をして、さらに成功した人、といったらさらに少なくなる。

 

捨て活もおなじだと思います。

ものを捨てる、捨てたい気持ちはある。

どうにかしなきゃいけない気持ちはあって、でも、どうしたらいのかいいのかわからない?

 

もったいなくて捨てられなかった→りぼんのふろく

4年ほどまえ、わたしはガラクタだらけの部屋で、りぼんのふろくをつめた紙袋を手にしてぼう然としていました。

ガラクタだらけの部屋に、2人の子を持つアラフォー主婦が、30年もまえのりぼんのふろくを持って「これ、どうしよう」と思い悩む、こっけいな情景。

 

これを捨てられないのはおかしい。

これを捨てないとして、また10年20年と取っておくのか?

 

そんなことを思いながら、また、ガラクタの一角にそれを戻しました。

当時のわたしには決断できなかったのです。

たいせつなものが使えないタイプの小学生でした。

 

いやー、だってね、80年代のりぼんのふろくですよ。

ある意味、絶頂期じゃないですか。

捨てられるわけがないですよ!

 

もったいないとはなんだったのか

けっきょく、2013年の個人的な捨て活祭のおかげで、りぼんのふろくも捨てることができました。

どうしてあんなにも捨てられずに取っておいたのか。

もうにどと手に入らないものだから、もったいない?

当時の自分がおこづかいから買った、たいせつなものだったから、もったいない?

 

当時の自分も、まさか子持ち主婦になった自分がりぼんのふろくごときでぼう然としているとは思わんわなー。

 

もったいない、まだ使える、といわない

今年の春休み、娘には「中学生になるし、いらなくなったものもあるよね」と声かけしました。

娘が、捨てるものとして選んだなかには、もちろん、使えるものもありました。

壊れていない、まだ使える、という見方をしたら、捨てられません。

でも、成長した娘には、いまの自分にとっていらないものだったのです。

 

(30年もりぼんのふろくを捨てられなかった母親はえらそうなこといえません)

 

季節の変わりめ、生活の変化、そうしたことに合わせて、処分していくこと。

いまの自分に合ったものを手元におく。

もったいないって思わないように、せいいっぱい使っていく。

そんなとこでしょうか。

 

ではまたー。

 

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