先日、ソニーのデジカメが修理からもどってきました。
そして、修理の明細書とともに、アンケートのご協力のお願いがありました。
そのアンケートを「そのうちに」と思いながら、放置していたら、留守番電話にその後のデジカメの様子はいかがですか、というおたずねとともに、アンケートへの協力お願いしますねメッセージが入っていたのです。
そんなに熱心にアンケートの回答を求めているみたいなので、アンケートに答えました。
感動したサービスとは?
アンケート自体は、ありきたりな質問でした。
満足したか、満足しなかったか。
満足した理由、あるいは満足しなかった理由はなにか?
みたいな、ごくありきたりな。
でもさいごに、「あなたがいままで感動したサービス(修理にかぎらず)についてお聞かせください」という内容の質問があったのです。
感動したサービス。
サービスによって感動する、心を動かされた記憶。
われわれはサービスのなにによって感動するのであろうか?
サービス、サービスゥ。
こういうところをたずねてくるのかー。
いや、そもそも、それがわからずにして、サービスをしておるのかね? ←というわけではないよね
へー、と(この意表をつく質問にたいして)感心して、考えてみました。
期待していたサービス以上のサービスかなァ。
予想外のサービス。
えッ、こんなことまで? みたいな。
そんな強欲な消費者を満足させるサービス?
まー、それで、わたしが「そういえばー」と思い出したのは、3DSですよ。
ニンテンドー3DSといえば、任天堂の修理の神対応がすばらしい、との評判です。
わがやでも、かれこれ3、4年ほどまえに3DSを修理に出したことがありました。
忘年12月、年末に近かったことを覚えています。
年末年始の帰省にはまにあわないかもしれない、と当時、小学生の娘にいい聞かせていました。
こまかいことは覚えていないのですが、3DSは1週間とたたずに修理されてもどってきました。
そして、修理を依頼した場所とはべつの、ヒビの入っていた部品も交換されていました。
修理を頼んでいるのだから、そこが直っているのはあたりまえです。
でも、こんなところまで、ちゃんと直してくれているんだ、さっすが任天堂、やっさしーい。
サービスでうれしいよろこびって、そういうところですかね。
こんなおまけがつくよ、っていうのじゃなくて、そういうサービス。
今回のデジカメ修理については、そういう意味で満足したんですよね。
ではまたー。