おととし、自家用車を手放してから、夫は駅まで自転車を使っています。
そして先日、お昼休みに夫からLINEが連絡が。
どうやらパンクしたみたいだから、修理しておいて欲しいとのことでした。
その日はたまたま、小3息子の帰りが早かったので、小3息子を連れて自転車の修理に行ってきました。
おいくらですか? と聞かない習慣がわれながらコワイ
駅前の駐輪場から、自転車を押して歩いて5分とかからない場所に、小さな自転車屋さんがあります。
マンションの1階にある、ちいさなお店です。
もともとは古本屋さんだったのを覚えています。
自転車屋さんに見てもらうと、後輪にみごとな穴が開いていました。
後輪は、かれこれ6、7年交換もせずに乗っていましたから、タイヤの劣化が原因かな、と思います。
自転車屋さんがいうには、タイヤとチューブとを交換して30分くらいかかるという。
じゃあ、そのころにまた来ます、と店をあとにしました。
すると、小3息子がいうのです。
(小3息子)「お金は? だいじょうぶなの?」
(40代母)「だいじょうぶだよ。あと払いなんだよ」
そして、気がついたことは。
そーいえば、わたし、値段を聞いてないなァー。
いや、そんな、ね?
ぼったくられるとか、そういうことじゃなくてー。
こういう場合、ふつうに考えて、「修理代にいくらかかるのか?」とたずねるものではなかろうか、と。
まー、ねー、そんなにべらぼうな値段をふっかけられるわけじゃあるまいし、高いからやめますってもんでもないし、聞いても聞かなくてもいっしょだよねー、というような。
この、お金にたいする無頓着さ。
40代にして、お金にたいする意識が低いのではあるまいか、とあらためて考えたのでした。
たぶんね、「お金にこまかい」と思われたくない、とか、「お金にこまっている」と思われたくない、とか、そういう意識が働くのだと思います。
しかも、無意識に。
ものすごいすり込みでもって、そのように思っているのだ自分はー。
お金にたいして、はっきりとしない、きちんとしていない、どんぶり、であることによって、お金に執着していないというか、あさましくないというか、そんなふうに見られたいと思っているとかなんとか、なんじゃないのかー。
じっさいには、お金を持っている人のほうが、お金にたいしてきちんとした態度をとっているし、はっきり、しっかりしているのですが、ね。
さて。
今年の個人的なテーマとして、お金について学ぶ、があります。
たとえば、自分ちの、個人的なお金の流れを把握するための、レシートワークを続けているのです。
にもかかわらず、タイヤのパンク修理ひとつとってもこれだよ、と。
自分のお金にたいする気持ちのうすっぺらなことに、おどろき、反省した、平日午後。
ちなみに、パンク修理費はぜんぶひっくるめて4,600円でしたよ。
ではまたー。