すべてにおいてやる気がなかった。
しかし、そんな状態がつづいていくのはマズイ。
そんな気持ちもあって、本を読んでいました。
とりあえず、やる気をなくさないために本だけは読んでいました。
ミニマリストな本とか、片づけの本とか、とかとか、です、ね。
写真に撮るのもめんどうなのだが
いまさら、という感じで『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』を読みました。
捨てたモノを写真に撮った話がこころに残りました。
なるほど、どうせ見ないのはわかっていても、写真に撮っておくほうが捨てやすいかもしれない、です。
いままで、モノを捨てるときに写真を撮ったのは、ブログ用であり、写真を撮らずに捨てたモノのほうが多いです。
いちいち写真を撮るのはめんどうだなと思って、ついそのまま捨ててしまうのです。
写真だけでも手元に置きたい、と思うようなモノを捨てる、ということでしょうか。
本にしても、スキャンする作業のめんどうを思って、自炊(セルフ電子書籍化)には手を出さずに捨ててきました。
モノを捨てるのはめんどうなこと。
思えば、写真を撮るよりもめんどうなこと(家具を解体)をして、モノを捨てていますね。
記憶していること
つい先日、記憶を呼び覚ます写真をあるサイトで見かけました。
ある履きもの屋さんのサイトです。
1本ゲタの画像をさがして見ているときに、見つけたのです。
おばあちゃんの草履、でした。
わたしの祖母が、いつも台所の勝手口においていた草履です。
草履の写真を見た一瞬に、祖母の草履が置いたあった様子、においまで思い出してしまうような記憶。
映像の記憶って、すごいんじゃないかしら。
今から40~50年前、まだ、日本中のおばあちゃんが普段着に着物を着ていた頃は、よくこれを履いていましたね。
福島履物店のサイトより引用(https://www.e-geta.com/fkso/)
そう、まさしくそんな年代。
祖母は普段ちょっと出かけるときにも、着物を着ていました。
そんな記憶、いつも思い出さない、わすれていた記憶がブワーッと呼び起こされたのでした。
ただの草履の写真なのですが、わたしは食い入るようにその写真をながめたのです。
そういうことがあって、モノを写真に撮っておくのもいいかもしれない、と思いました。
ただし、デジタルで。
見返すことがなくても、いいでしょう。
ではまたー。