捨てられない人のかわりに捨てています。

洗濯バサミ青空イメージ つぶやき
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捨てられない人に、捨てさせるのはむずかしいことです。

むりやり捨てさせるのが、残酷なくらいに。

もう、考えかたがちがうのだから。

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2,3年前、母に「ぜんぶ捨てていいよ」といったところ……

花イメージ

実家にある、昔わたしがつかっていた部屋は、いまは物置状態です。

数年前、母から、わたしが残したものを片づけてほしい、とわれました。

部屋にのこっているのは、もう20年以上もまえのものです。

 

20年間使わなかったものです。

ファイル類だったと思います。

母に「これ」と見せられたわたしは、ちょっと見てから「ぜんぶ捨てていいよ」といったのです。

すると母は「まだ使えるじゃないの」といいました。

 

そう、捨てられない人の得意技「まだ使える」

 

でも、わたしのものだし、わたしの意向を知りたくて、母は声をかけてきたわけです。

このやりとりをそばで聞いていた父も、「本人がいらないといってるんだから、捨てていいんだ」と話しましたが、母には伝わりません。

 

だったら、実家を出るまえに捨てればよかったのですが、昔からゴミとしてまとめても、捨ててくれなかったのです。

いらない本をまとめてヒモで縛っても、母がヒモをばらして仕事の関係先に持っていったことがありました。ヒィィ。

いま思い出しても冷や汗ものです。

女子高校生にだって、他人に見せないまま捨てたい本があるのです。

 

「きれいだから」「もったいないから」「○○に持っていったら誰かが読むかと思って」

そんなことをされた女子高校生が、実家で安易に本を捨てられますか?

 

あと、うちの実家、昔は自治体のゴミの回収に参加してなくて、祖母が一斗缶のなかでゴミを燃やしていました。

ダイオキシンなどが騒がれるまえのことです。

そういう環境って、ものすごーく、ゴミを出しにくいんですよね。

いちいちゴミをチェックされている感じで。

 

だから実家を出たあと、黒いゴミ袋(当時)に入れてゴミを出せるのが、すごーくうれしかったです。

洗濯バサミ青空イメージ

祖母の持ちもの、母の持ちもの

明治生まれの祖母は、持ちものが少なかったです。

3段の引き出し、箪笥ひとつ。

あと、押入れの引き出しにも少し衣類を入れていました。

 

しかし戦中に生まれた母は、、貧しかった子供時代、食べるものも着るものもなかった時代、そういう時代を経て、自分で働き、たぶん父以上に稼ぐようになって、高度成長期やらバブルやらで……、ものがあふれだしました。

回転ハンガーを買って、なお収納しきれない服……。

ぼろぼろに履きつぶした靴が捨てられなかった母。

手入れできない毛皮。

ネズミにかじられたバッグ(をわたしにくれようとした。さすがにことわったら、やっぱり捨てられない)。

 

なんだか、悲しくなってきました。

悲しいくらい、ものにあふれているのです。

 

7人が暮らしていた家に、いまは2人。

人がものをよけながら暮らしている家。

 

そういう家を知っているので、わたしは捨てられます。

帰省したとき、母が「もっていっていいよ」といったガラクタを、家に持ち帰って捨てています。

捨てられない人は、自分が捨てられないので、他人にあげるという行為をします。

もちろん、断ることもできますが、母のかわりに、と思って持ち帰っては捨てています。

 

夫の実家もやはり似たようなものですが、広さがちがいます。

でも、せまい家はせまい家なりに、広い家は広い家なりに、ものが増えていきます。

思うに、引っ越しの経験がない家庭は、さらにものが増える傾向にあります。

ものを仕分ける大変さ、ものを運ぶ大変さ、などを経験しないからでしょうか。

ま、うちの実家がまさしくそうなのですが。

 

ではまたー。

 

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