ふだん、よそのお宅にまねかれることのない生活をしています。
でも、そういえば、と思い出したのが、まえのアパートに住んでいたとき、下の階に暮らしていたOさんのことです。
おなじ間取りのはずなのに別世界のようなOさんの部屋
当時、わが家は3人家族。
娘が幼稚園にかよっていました。
いっぽう、Oさんはひとり暮らしの老婦人です。
70代後半といったろころでしょうか。
おなじアパートの上と下。
つまり、まったくおなじ間取りです。2DK。
「どうぞ、あがって」と見覚えのあるドアを開けて入ったさきは……。
もう、ぜんぜん、べつもの。別世界。
それをOさんにいったら、「そりゃ、しかたないわよ。子供がいたら、ものが多いのはあたりまえ」といわれましたけど。
それにしても、ほんとうにすっきりしたお住まいでした。
キッチンには冷蔵庫と小さな食器棚。
その奥の部屋には、小ぶりなテーブルとイスが2脚。
そのさらに奥の部屋を、寝室としていたのだと思います。
わたしは、たまに娘さんがたずねて来るときにすわるのであろうイスをお借りして、Oさんの身の上話をうかがったのです。
Oさんには娘さんが2人いて、ご主人とは離婚。
Oさんの半生、身の上話はたいそう長いお話でした。
おもしろい、といっては失礼なのですが、なるほど人生とは波乱万丈であるなぁ、と思ったしだいです。
Oさんが結婚して、働いて、家を飛び出した話
Oさんの結婚は、嫁いびりにはじまります。
夫は家にお金を入れてくれず、義母はOさんに働くように強制します。
(実はこれに似た話を、やはり、このあたりの土地に嫁入りした人から聞いたことがあります。この地方では、よくあることなのでしょうか)
Oさんはいろいろなところに勤めたそうです。
でも、いちばん稼ぎがよかったのが結婚式場のスタッフだったとか。
心づけをいただくことも多く、そうしてOさんは少しずつ、家を出てゆく準備をしました。
娘さん2人が、それぞれ結婚して家を出たあとのことです。
おそらくOさんは、その当時60歳手前だったのではないでしょうか。
Oさんは、ちょっとそこまで買いものに行くような姿で、ふだん使いのバッグを片手に家を出ました。
(こういう場面、再現ドラマかなにかで見たことがあります!)
記入済みの離婚届を、仏壇においたそうです。
家から見えないように、角を曲がったさきにタクシーを呼んでおいて、Oさんはバッグひとつを持って、夫と義父母のいる家を出ました。
タクシーまでわずかな距離なのに、なんども振り返って、家を見たそうです。
Oさんは家を出たあと、娘さんたちと連絡を取りあいました。
しかし、Oさんは娘さん家族といっしょに暮らす考えはなく、このあと自分の入る老人ホームも決めているのだ、と話してくれました。
その後のOさんとは、いちどだけごあいさつしました
その後、じっさいに老人ホームに入ったOさんと、近所のスーパーでごあいさつしています。
わたしたちが引っ越して、2年も経たないうちだったでしょうか。
Oさんは自分の決めたとおり、老人ホームに入ったのです。
おそらく、老人ホームでのOさんの部屋も、わたしが通された部屋とおなじでしょう。
必要なものが置いてあるだけの簡素な部屋。
生き方を自分で決める。
いさぎよく最期を決める。
バッグひとつで飛び出す覚悟があれば、できます。
ではまたー。