まだ、娘が歩きださなかった頃に、ある親子とすれちがいました。
正確には、さきに母親とすれちがい、そのうしろで道ばたの花をつんでいる女の子とすれちがったのです。
花を手にした女の子に、母親がいいました。
「きたない、捨てて」「きたないでしょ」
やたらと「きたない」をくり返す母親。
女の子が手にしていたのは、道ばたのコンクリートの割れめからのびていた小さな花でした。
マイナスの言葉って、よくなくなくなくなくなくない?
道ばたの花をつんだ女の子の気持ち、それをきたないとくり返す母親の言葉。
そう、わたしはこのとき、娘には「きたない」なんて言葉を使わずに、子育てしよう♪
みたいな、そんなことを考えてしまったんですね。
いま思うと、音符をつけてもいいくらい、ちょっと、どうかしていたかもしれないというか、勘違いっていうか、思い込みっていうか、うん、子育て中は頭の中に花が開くこともあるよね。
「きたない」という否定的な言葉を使わずに、子育てをする。
一見、よさそうな、きれいごとなんだけど、すてきフレーズかもしれないけど、このあと忘れたころに、たいへんなことが起こりました。
あんまりのことなので、当時のことを忘れたであろう娘に語ったことはありません。
幼稚園帰りにみんなと遊んでいる最中、「これなに?」と3歳の娘がつかんだもの
当時、娘は毎日幼稚園バスに乗って、通園していました。
バス停には年少から年長まで、7、8人の園児がいて、幼稚園の帰りにバス停から近い空き地で遊ぶのが日課になっていました。
ある日、いつものように空き地で子供たちを遊ばせているとき、なんだかざわついていたのです。
なんだろう、と思っていると、空き地の奥から、娘が歩いてやってきます。
なにか手にしています。
「娘ちゃん、それ、捨ててッ!」
娘の近くにいたバス停ママさんがさけびました。
娘はたいへんなものをつかんでいました。
3歳の娘の手の中に入るくらいに細長いなにか。
犬のフンです。
娘は自分がなにをつかんでいるのか、なにがこうも大人をあわてさせているのか、わからない顔で歩いてきました。
いまとなっては、わたしがそのときどう話したのか覚えていないのですが、娘は手の中のものを草の中に落としました。
娘はその手をどうしたらよいのか困っていて、わたしはそのまま娘を家に連れ帰りました。
そのときまで、わたしはどうやら犬のフンというものを、娘に説明してこなかったみたいなのです。
きれいはきたない、きたないはきれい、みたいな
そののち、わたしは息子と歩くとき、道ばたに犬のフンを見かけると、近づかないように、よけて通るように注意します。
息子はさすがに手でつかまないけれど、子供らしい興味はあって、犬のフンはあれからどうなってしまうのか、考えるのです。
わたしが思うには、雨にうたれた犬のフンがかたちを失って、雨と泥水といっしょになって流れてしまう、自然に。自然界へ。
そういうことで、犬のフンはいつまでも道路のはじに残っていないのだと思うのですが、それってつまり、けっこう、道路ってきたないってことか。
でも、どこからどこまでがきれいで、どこからどこまでがきたない、というのは説明にむずかしい。
犬のフンに関しては、さわっちゃいけないもの、としてきたない分類かなー。
それにしても、子供はまさかってことをするから、まー、こんなこともあるよねって、当時のショックが薄れたいまとなっては、そう思えますけど。
ただ、この話はわたしの中では、娘の武勇伝のひとつとしてカウントされています。
4人家族の中で、娘ひとりがゆいいつの長女です。
やっぱり、長女ってちがうんじゃないかね、と夫とも話しています。
われわれ末っ子にはないものを持っておる。
そういう意味で、娘を尊敬しています。
ではまたー。