りぼん少女だった40代主婦が、娘には少年ジャンプを読ませている理由。

古本イメージ つぶやき
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いまの楽しみは、ねずこちゃんのふとももなんじゃ。

そんな子持ち40代主婦のたわごとですが。

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わたしがりぼんで、娘がジャンプで

古本イメージ

たしかに、わたしは80年代のりぼんを読んできたし。

「ときめきトゥナイト」「月の夜星の朝」「銀曜日のおとぎばなし」などなどを新連載として本誌で読んだめぐまれた世代であります。

しかし一方で、むかしは「りぼんオリジナル」というのがありましてな。

わたし、そこで「それすらも日々の果て」も読んでいるのです。

たぶん、小学6年生くらい?

いろいろと、意味がわからないまま、読んだわけです。

 

どうしても少女マンガはなまなましくなってしまったりするもので、頭がフットーしちゃうのもどうかと思いますし、ギャグ路線でお願いします、という気持ちがあって、わが家は週刊少年ジャンプです。

おかげさまで、娘は浮世絵すなわち春画と思っているみたいだし、ほんと、こまりますよォ。

息子はいそべぇポーズでお昼寝していることがあって、娘とともに笑った。

それにしてもラッキースケベ連発なマンガとか、大人はちがう目線(連載を続けるってたいへんですね)で見ているけど、娘的にはどうなのか。

 

ほんとうは少女マンガの、教えるということがどだい不可能なこの芸術の世界、蒼ざめて透明な 真のロマンチック・バレエを、伝えたいって思っていたのですが、ちょっと、タイミングを逃しました。

すでに娘はどっぷり少年ジャンプです。

ボカロの小説を読んで、ワールドトリガーのキャラブックを読む、そういういまどきの女子中学生です。

 

そう、わたしがのぞんだ、娘にはわたしとちがう方向に進んでほしい、という切なる願いが実現しております。

これ以上、なにをのぞみましょうか、ってことです。

 

娘には、ほどほどの読書をのぞんでいます。

よく、子供を本好きにするには、という話があるけれど、本好きのわたしにしてみたら、やめとけ、ほどほどにしておけ、と思います。

読書は毒。

大人が選んだ健全なものとされている本だけを読むわけじゃない。

 

子供って健全とされている物語の中の、不健全なもの、不調和、そうしたものを嗅ぎとりますよね。

そうしたものに異様なまでにひきつけられてしまったり。

だって、娘の本棚に、サドとかバタイユなんかあったらどうするよぉー。

 

読書には、そういうのがつきものだから、できれば遠ざけておきたい。

などと思い、娘には少年ジャンプしか与えてこなかったのであった。

 

娘の読書はおもに、パスワード探偵、ボカロ、キャラクターブックです。

少年ジャンプを毎週読んでいるほかは、マンガは読んでいません。

マンガの単行本を買うという考えは思いつかないみたいです。

友達に借りて読むことはあるみたいですけど、基本的に貸し借りはあまりしていないみたい。

 

母親としては、ほっとしている。

これが、夏休みを過ぎると変化するのかもしれない女子中学生、という不安。

幼稚とか、奥手とか、そんなのでいいと思っています。

(こんなことを思っている時点で、娘の成長におくれをとっている、ついていけない母親になっているのかもしれない。すでに「わたしの娘」はわたしの妄想の中にしかいないのかもしれない。ウワァー)

 

そういう母親のエゴかー。

わたしもやはり、娘にいつまでも子供でいてほしいとエゴエゴしているわけです。

無理なんだけどな、わかっているんだけど。

読書体験を共有したくない、というのがあって、たとえば太宰治くらいだったらよいけれど、谷崎潤一郎はいやだな、とか。

そういうことなんじゃないか、と。

いや、太宰だって、娘が太宰読んでいたら、どうした、なにがあったんだーッて思うし。

 

なんというか、わたしの読まないジャンルを読んでほしいです。

というエゴエゴ。

 

ではまたー。

 

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