あるとき、というのはわたしが浪人時代の話です。
わたしは18歳にして家を出て、まかないつきの下宿にお世話になっていたのです。
わたしの下宿先は老夫婦の家の2階でした。
そうして朝と夜は、女子寮をいとなんでいる、べつのお宅の食堂へ行ってごはんを食べていたのです。
女子寮に暮らすさまざまな女の子たち
あとにして思えば、わたしは運がよかったのだと思います。
たまたま女子寮がいっぱいで、老夫婦の家の2階に暮らすという条件になりました。
女子寮には、大学生と専門学校生と浪人生がいました。
そんななかで浪人生が卑屈にならないわけがない。
しかも、なんか、よくわからないけど、いじめとかもあったらしいんだよな、外からかよっていたわたしにはよくわからなかったけど。
もちろんそれは浪人生間で起こってるわけ、大学生様には関係ないわけなのよ。
ストレスがちがうからな。
某県出身のK子さん
その女子寮にはいろいろな人がいました。
わたしは外から通っていたため、多くの人と親しくなる機会にめぐまれませんでした。
でも、めずらしくいろいろな話をしたのが、某公務員を目指していたK子さんです。
K子さんは、小柄で、色白で、声が高くて、ほっそりしている人でした。
当時たしか、27歳といっていたと思います。
だから、女子寮ではちょっと異色の人で、1年たたずに引っ越していった人でした。
K子さんの上京
春、K子さんは上京して新宿駅を出たところで呼びとめられたといいます。
「ちょっと、きみ来なさい」
いきなり、両脇をつかまれて、パトカーに連行されたそうです。
(いま思うと、いくらなんでもいきなりはないだろうと思うのですが、質問されて、でも、しどろもどろだったのと、住所が田舎すぎて長くて信じてもらえなかった、ということらしいです)
春、成人した女性には見えない外見、そして肩から下げた大きなバッグ。
Kさんはかんぜんに家出少女とまちがわれて、補導されたのです。
ときどき、アラサーにもかかわらず幼い外見の女性がいますが、Kさんもそういう人だったのです。
当時、わたしとは10歳近く年が離れている人でしたが、すごくチャーミングで、おもしろい話し方をする人でした。
それで、警察署に連行されたK子さんは、自分は成人していること、家出少女ではないことを伝えるのですが、おまわりさんは信じてくれず、「うそをついてはいけない」とやさしくさとすのでした。
もちろん身分証明書になるものなど持っていません。
K子さんの出身地というのも、住所がとても長く(田舎ではよくあることですが)おまわりさんが信じてくれなかった、というのです。
まあ、こういうやりとりを、K子さんが特徴のある高い声で、声色を変えながら話してくれたので、18歳のわたしはヒィヒィ笑いながら聞いていたのでした。
で、まあ、けっきょく、警察から実家に電話して身元の確認が取れて、K子さんは誤解がとけたわけです。
おまわりさんはあやまってくれて、K子さんを新宿駅まで送り届けてくれたそうです。パトカーで。
で、さらに「ごくろうさまでした」と頭をさげて、見送ってくれたのが恥ずかしかった、と。
K子さんの持ちネタ
K子さんからは、いくつか大笑いする話を聞かせてもらったのですが、新宿駅での連行が最高で、あとはお寺に野宿したときの話などがありました。
あるとき、話を聞いていたわたしが、いいセリフのあとで笑わなかったのです。
すると、K子さんがいいました。
「あれ、ここ、みんな大笑いするところなんだけど」
そう、K子さんは、いろいろな人に自分の持ちネタを披露していたのです。
おそらく、わたしに話すまえにも、わたしに話したあとにも、もしかしたら、こうしてわたしが書いてるいまも、どこかでいつかのわたしのような人を相手に、あの高い声で声色を変えながら話しているのかもしれません。
自分に持ちネタはあるか?
そこでわが身を思い返します。
残念ながら、わたしにはだれかをヒィヒィ笑わせるような実体験の持ちネタがありません。
消極的に生きてきた、実体験のすくない人生がいまさらながら悔やまれます。
K子さんの話のいいところは、おまわりさんを責めず、ただひたすらおもしろおかしい体験にしている点にありました。
怒りとか憎しみとかでなく、ひたすらおもしろい、わらえる話でした。
持ちネタとして披露されるなら、そういう話がいいなー、と思います。
批判でもなく、グチでもなく、ためにならなくていいから、ひたすらわらえる話。
わたし自身にはそういう話がなく、それで、まあ、他人の持ちネタをこんなとこで勝手に披露しているわけでして。
わたしが他人の話を読み聞きするのが好きなのも、自分の知らないことにたいする興味というか好奇心というか、もの好きだからです。
だれも不快にすることがなく、目のまえの相手を大笑いさせる持ちネタ。
そんな持ちネタがあったら、どこにいってもだれとでも親しくなれるんじゃないか、と。
そんなことを思うわけです。
ではまたー。