他人の服なんておぼえちゃいない、といいます。
それは、ただしい。
でも、ときどき、おぼえているものもありますよね?
それって、ハズレのときです。
あきらかに「エッ?」というときです。
いつもとちがう冒険ファッションだったのかもしれない
これは、わたしが蛍光色にたいして批判的だからかもしれません。スンマセンスンマセン
ある朝、幼稚園バスの待ちあわせにやってきた某ママさんが、あざやかな蛍光グリーンだったのです。
おろしたて、ニューファッションです。
でも、あきらかに、なんかそれだけ浮いている。←と当時のわたしは感じました。
しかも、いまとなっては、その某ママさんの蛍光グリーンが、カットソーだったのかクロップドパンツだったのか、思い出せないのです。
そのくらい、他人のファッションなんて、どーでもいい。
にもかかわらず、蛍光グリーンはないなー、と当時、見かけるたびに心の中で思ってしまったので、色だけが記憶にのこっています。
ということは、やっぱり、他人の服なんて覚えちゃいないのです。
それがごく自然な、無理のない、フツーの服だったら、だいじょうぶ、記憶にのこりません。
でも、そこに、いつもとはちがう冒険心とか、斬新なスパイスをきかせたとしたら、3日くらいは記憶にのこるかもしれない。
蛍光グリーンの某ママさんは、ふだん、蛍光カラーを身につける人ではありませんでした。
わたしの中の某ママさんイメージが、遠くで見てもわかるくらいにできあがっていて、でもそこに、イメージを打ち破るような蛍光グリーンだったのです。
当時、蛍光グリーンは2週に1回くらいの頻度で登場しました。
週に5日、顔を合わせるとなると、蛍光グリーンが印象に残ったのです。
まー、自分のことは棚にあげますけれども。
週に5日も服の着回し、服のコーデなんて、記憶にない40代主婦です。
当時は、いまの3倍くらい服を持っていた、と思います。
そのころも地味でした。
もっと、ナチュラルなオーガニックななにかを目指していた気がします。
部屋にカゴを溜めこんでましたし。
自分に蛍光カラーはないなと思っても、他人の蛍光カラーまで否定するなよ、です。
まさしくそのとおりなんですけど。
自分のなかで出来上がっている他人像って、知らず知らずのうちに固定しているのだなーと。
勝手に、固定しちゃってるんですね。
そしてまた、勝手に固定されているのだ、と。
ではまたー。