さいきん、また、ざくざくと捨てています。
捨てるモノの中には、本来なら夫が管理すべきだよね、コレ、というものも含まれています。
たとえば、20年前のCD-Rとか?
前回、ざくざくと捨てていたときにも、それらを見ています。
でも、夫の範囲だから手を出しませんでした。
そして、いま、5年ほど経ちました。
5年後も10年後も、そのまま、って考えてみたら
夫が絶対に捨てられないモノ。
夫に決断できないモノ。
たとえば、写真。
写真は以前、夫にたのまれて、わたしがザザッと捨てました。
CD-Rも、夫にまかせていたら減らないです。
たとえば、CD-Rがほとんど入っていないスッカスカのケースが捨てられない。
いま、ここを減らしています。
だって、けっきょく5年後にわたしが捨ててるんじゃないかな、って気がついたからです。
中身チェックして、ハサミ入れて、捨てる。
こういう手順を、いつか誰かがやらなければ片づかないモノがあって、おそらくそれは、夫にはできない、だろう、たぶん、きっと。
ということは、わたしかー。
5年後、10年後、けっきょく、わたしが手間ひまをかけて捨てることになる。
いまの自分の年齢に、+5、+10かー、って思ったら「ちょっと、さきに捨てておきますね」って気持ちになりました。
自分の片づけのついでに、分別して確認して処分です。
確認というのは、夫に「捨てるよ」ないしは「捨てていい?」とたずねておくことです。
いちおー、簡単にそういうことをしてからの処分。
そして、夫の口から聞かされる「捨てないで。なにかに使えるかもしれないから」
やっぱり、そう考えてしまうんだなァ。
そういわれて、わたしはりぼんのふろくを手にしたまま、薄暗い部屋でうなだれていた自分を思い出しました。
どうして捨てられないのか、なんで、ずっと持っているのか。
もったいなくて使えなかった自分、たいせつに持っていた年数。
いろんなよくわからない執着がぐるぐるして、捨てることができませんでした。
自分が持っていたものをゴミとして、ガラクタとして、価値がないと自分で判断したくなかった、ということなのかー。
40代主婦となったいま、りぼんのふろくを手にして悩むことはありません。
5年前に処分してよかったと思います。
その時代に使っておけばよかった、と思うモノをたくさん捨てました。
後ろめたい「捨て」が多かった40代主婦です。
いま愛用しているモノには、感謝の「捨て」ができそうです。
ではまたー。