夏休み明けに、算数ドリルがないと涙目になった息子、小学2年生。
さがしものをするときは、捨てチャンス。
ということで、1年生のときの教科書、ノート、ドリルを捨てることにしました。
学校からは、教科書を6年間とっておきましょう、と指導されているのですが、正直いらないです。
娘が高学年になってから、前年の教科書をつかうかもしれない、といわれてとっておきましたが、けっきょくつかわなかったみたいです。
面積とか分数とか、復習したいと思うとき、手元にほしい、ということなのかなー。
高学年になると、教科書なんて見せてもらう機会がないので、二者面談のときにぶあつい算数の教科書を見ておどろいたことがあります。記述がていねいらしい~。
さて、かんじんの算数ドリルはとうとう見つからず、先生に提出したような気がする、そういえば提出した、たぶん提出した、したした、ということで。
後日、算数ドリルの提出が確認されました。アー、ハイハイ
教科書、ノートは選び抜く
わたしの実家は、ものを捨てられない家庭でした。
教科書はさすがに捨てていましたが、ノートが何冊もとってありました。
その中のひとつに、兄2の絵日記があって、超合金のマジンガーZを買ってもらった話が書いてあったのです。
兄2が小学1、2年生くらいに書いたものだと思うのですが、先生からの赤ペンの返事もありました。
わたしがその絵日記を見たのは、小学校に上がってからのことですから、5、6年はゆうにたっていた、と思います。
わたしは4人兄弟の末っ子なので、上の2人の子供と、わたしをふくむした2人の子供は、あつかいがちがうのがわかります。
子供2人くらいだと、とっておこうとするんですよね。
はじめての子供のノートなんて、保存したくなっちゃう。
ま、そんなのはさいしょのうちだけです。
なにごとも、さいしょはぜんぶ、すべて、まるっと残しておきたくなるのです。
しかも、さいしょはそれができちゃうんですよねー。
そんなに量もないし、スペースもある。
それが4人目になってみろ、って話です。
生まれたときの写真すらないからねッ。
兄弟でゆいいつの女の子(←わたしのことだッ)と自己紹介すると、かわいがられたでしょ、とかいわれるけど、そんなのないから、リカちゃん人形すら持ってなかったから、そんなもんだから4人目なんて。
子供の手書き文字や絵は、思い出という癒しのアイテム
そんなこんなですから、教科書、ノート、プリントなどのうち、とって置くとしたら、子供の文字や絵がらみのもの、家族について書かれたもの(感動ものとか、笑えるものとか)を厳選して、ベスト盤をつくってみる、というような感じで、保存です。
この手のものは、子供自身にはいやがられたりするばあいがあるので、自分がほのぼのするためとか、じーんとするため、などの、癒しグッズのひとつとして隠匿しておきます。
隠し持っておく、秘蔵のアイテム。
「母がいつも持ち歩いていたポーチのなかに、ちいさく折りたたまれたわら半紙が入っていました。なんだろう、と広げてみると、それはわたしが小学生のときに書いた母への手紙だったのです。(涙腺ぶわーっとなる、わが子)」←こういう妄想用アイテム
子供にたいして、ぐぬぬぬー、となったときの、落ちつけ自分アイテム。
そうしたアイテムとして利用できれば、子供のものって十分とっておく価値はあると思うのです。
思い出という癒しのアイテム。
自己満足ですがね。
ではまたー。