すこしまえの話ですが。
夏休みに入り、娘に好きなだけパソコンをつかわせていました。
で、娘に、パソコンでなにをしているのか、たずねてみたところ、「ゲームの実況を見ている」と。ウワァー
それって、他人がゲームをしているようすを動画で見ているってことだよね、それのどこが楽しいんだよオラッ、という話は以前もしたのですが。←たのしいらしい
いや、まてまて、それはー、つまりー、他人がスポーツをしているようすを動画で見ているってことだよね、って考えたら、アッ、それなりに理解できた! 自分がやらないって意味ではいっしょ、いっしょー。ウワァー
つねに見る側じゃなくて、見せる側になってみたらどうですかよ?
まあ、それはともかく、あいかわらず、一歩ひいてるんだなーってことで、熱く語っておいたのは、こういうことです。
動画を何時間何十時間何百時間見てんだよ、だったら、自分でつくれよ、もう中学生なら、見る側じゃなく、見せる側になれよ、という話。
自分でつくれ、というと、とたんにデヘヘとなって、てれ始めるのはなんなんでしょう。
動画じゃなくてもいいんですけど、中学生ならさ、もう、表現する側になれるよね?
部屋に閉じこもって夏休みを過ごすなら、受けとめる側じゃなくて、投げる側になれるよね?
広大なネットの海に、自分のボール、投げつけてみなよぉぉおおお、みたいな。
40代の母がいいたいのは、そういうことです。
だれでもみんなその手のなかにボールを持っている、と考えるんだー。
なにものかを創造する、という場合に。
たいていの場合は、自分の、自分なりの表現を、他者の目にとまるところへ持って行くわけですよね。
はずかしいぃいい、なんていってたら、オリンピックに出場できんわけじゃないですかー。たとえば。
いまの時代のすごいところは、むかしだったらぜったいに他人に見せることのなかった表現(あらゆる表現をご想像ください)を、ごくかんたんに公開することができるところです。
むかしだったらありえない、そんなの毎日やってますけどー、というごくふつうのあたりまえなことですら、公開することによって見る人がいるのです。
そうはいうものの、じつのところ、創造なんてものは孤独におこなわれるべきもので、とくにうら若き10代の創造については、批判も称賛もない場所で、ひそやかに自分の世界を創造するよろこびを甘受してほしーよなー、と思っとります。
そーゆー、あまーい蜜月を、あじわってほしいんだよー、夏休みッ。
と思ってましたが、おわりました。
夏休みって、そういうものでした。
ではまたー。