子供の頃はなんでもかんでも、ピンク赤ピンク赤、というくらい。
とりあえずピンク、とりあえず赤、と女の子カラーをあたえられつづけました。
しかしすこし成長して自分でえらぶようになると、ピンクや赤ってえらばなくなります。
思えば長いこと、ピンクなんてえらばなくなっていたのです。
そうして、夫に「ネズミ男?」といわれるほどの灰色時代もありました。
30代後半から素直にピンクをえらべるようになりました
えー、ピンク?
もっとほかの色ないの?
と、ピンクをさけていた時代がありました。
女の子カラーの代表、ピンク。
そんなの持ちたくないし、身につけたくないんだよ、という時期。
その後、ごくふつうにピンクという色を受け入れたのは、夫の着ていたサーモンピンクのシャツがきれいだったからかもしれません。
夫はピンク系が似合う男です。
ピンク色は女性ホルモンの分泌をうながすから若返り効果がある、ピンクは女性をしあわせにする色だ、という話があります。
そのころから、下着にはピンク系をえらべるようになったのですが。
明るいほうを見つめようと思って
ある年、つまりは大きな震災があった年であり、震災とは関係なく兄が亡くなった年。
どうしようもなく、落ち込む時期に、この身は暗く沈むとしても、せめて明るいほうを向いてみようと思いまして。
それで、これまで自分ではえらばなかった明るい色、ピンクの小物を買いはじめました。
手帳の色がピンクなのもそうですし、ヘアクリップ、ペンのボディカラー、ペットボトルカバー、バッグインバッグ、ハンドタオルなど、その頃に買った小物にはピンク色が多いです。
いままでどおりの自分ではいられなかったのです。
自分が死にたいわけではないけれど、どうしようもなく落ち込むのです。
そうかといって整体スクールにはいかなくちゃいけないし、保育園の送り迎えはしなくちゃいけない、朝ごはんをつくって、お夕飯もつくらなくちゃいけない。
あとで思うと、そのとき夫は無職で、夫が死ぬのではないかと思っていたのがふっとんでしまって、ただ、夫が家にいてくれることがありがたかったです。
子供から離れて1人でいられる時間、眠れずに、夜中になにをするわけでもなくパソコン画面を見ている時間。
そういう時間ができたのは、夫が家にいたからでした。無職だけどなー。
おそらく、夫がもし当時働いていたら、ひんぱんに衝突していたと思います。
起こるべくして起こったのかもしれない。
そうではないのかもしれないし、そうなのかもしれないし。
考えても考えても、答えも解決もとりかえしのつかないことを、いまもくりかえし。
そうしたことがあっての、ピンクですピンク。
手帳なんて、今年はラメ入りですよ。
そんなドピンクのラメ入り手帳を買えるようになったのは、わたしが40歳をこえたからですなぁ。
まー、そういうことで。
ではまたー。