これは、いまどきの小学校ではみんなやっていることなのか。
小学2年生で、自分の名前の由来とか、自分が生まれたときのエピソードを家族にたずねる、という授業がありまして。
いま、まさしく、それです。
冬休み中にすすめておいてね、というやさしい学校の思いやり。
しかしいよいよ、来週までの〆切が近づいてまいりました。
子供の名前の由来を文章化する
いうまでもなく、子供の名前もまた、休日の片手間にできるものではありません。
息子の名前に関しては、夫の担当でした。
当時わたしは、百福さん(日清の)の名前を知って、こんな感じでおめでたい感のある名前がいいんじゃないか、と。
百……というのを考えたのですが、却下されました。
ももさん、と呼ばれる男の子! と思ったけど、それ、男塾。
そんなこんなで、夫が息子に命名しました。
娘のときも悩んだのですが、息子のときも生まれてから考えました。
由来とか願いとか、そういうへんに強い思い入れはなかったのですがー。
小学校の課題として、文章化して提出しなければなりません。
夫は、漢字の意味を調べたりしながら、息子の名前についてあらためて考えていました。
あとづけの理由ってどーなのー、と思いますが。
いまどきの小学校は、自己肯定感を高めるためにこういう教育をしているのかなー、と。
自分がこの世に生まれ出でるときの、両親の思いであるとかー。
本人が知らない、覚えていない、感動エピソードとかー。
そういうのを年代別に、5個くらい書いていくのです。
もちろん、「おまえは橋の下で拾った」なんて冗談でもいっちゃいけないのです。
娘のときも、これ、やったよねー、と思いつつ。
でも、娘のときはこんな手紙まで書かなかったのです。
だいたい、こういう手紙をわたしが書くと、夫が「ちょっとちがうんじゃない?」といいます。
「だったら自分で書いてよ」とわたしがいい返すと、退散する夫。
この手の手紙は、単純な言葉で、あまり内容のないことを書きます。
もちろん、何回も下書きをしたうえで、そういう内容にするのです。
1、2回の下書きだと、変に感情がこもっちゃって、ウワァアアアーな文章になる場合があります。
しかし、それは心に秘めておくべき思い、学校に提出する紙に書くものではないのです。
てことで、今回もなんというか、箸にも棒にもかからない、毒にも薬にもならない、そんな文章を書いておきました。
まー、子供は健康であればありがたいよね、ってことで。
いまのところ娘も息子も、大きな怪我や病気がなく、ほんとうにありがたいと思っています。
健康はなにものにも代えがたい、ってほんとうですよ。
あたりまえの健康があって、さてそれ以上になにを望むかってことなんですよね。
ではまたー。