モノにあふれた伯母の家、夫の実家。

ちゃぶ台イメージ 捨て活
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夫の実家のそばには、夫の伯母が住んでいます。

その伯母はいろいろあって、いまはひとりで暮らしています。

気の強い、頭のしっかりした人、もう90歳に近い年齢です。

末っ子の夫は、なにかとお世話になった記憶があり、その伯母さんのことをたいせつに思っています。

そして、その伯母さんの家というのが、モノにあふれた足の踏み場もないような家だったのです。

といっても、そういう状態だから、わたしは玄関と応接間のすみっこしかしらないのですが。

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思い出、過去、いただきもの

ちゃぶ台イメージ

その伯母さんのお仕事は、いわゆる人との出会いと成長、そして別れをくり返すお仕事でした。

1年ごとに出会いと別れをくり返すのです。

手紙、プリント、記録、写真、そういったモノが毎年毎年たまっていくお仕事。

当然のように、人からのいただきものも多いです。

 

数年前に、とうとう義姉が伯母さんの家の片づけに入りました。

義姉は、決断のはやい女性ですから、伯母さんを適当にあしらいつつ、どんどん捨てていったそうです。

伯母さんは近年、足を悪くしていて、自分で片づけができる状態ではありません。

 

義姉の片づけのあと、伯母さんの家の玄関からは紙の束がなくなり、階段に溜め置かれていたさまざまなよくわからないものもすべてなくなりました。

玄関から見るかぎり、あいかわらず雑然としていますが、空間が広がったように見えます。

 

義母から聞いた話では、これまでに伯母さんは「自叙伝を書くんだから」とたくさんのダンボール箱を、義母の暮らす実家に持ち込んだのだそうです。

義母は伯母さんの持ち込んだ、書類のたくさんつまったダンボール箱を横壁のない物置のすみに置いていました。

わたしが見たときには、ダンボール箱はやぶれて、もう野ざらしになっていました。

 

「朽ちればいいと思って、あのままにしてるんだよ」と義母はいいました。

伯母さんは、義母にとっては小姑です。

伯母さんが実家に荷物を持ち込んだら、義母にことわることはできません。

朽ちればいいモノが、夫の実家には山のようにあるのです。

 

このように思い返したあとは、さて、わが家の片づけをはじめますかな、と重い腰をあげるのでございます。

あんなふうになるまえに、ね。

もう、圧倒的にモノの量がちがうんですけど。

あれを思えば、わが家のモノなんて余裕です。

 

ではまたー。

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