息子は生後6か月ごろに入院したことがあります。
体重増加不良で入院したのです。
母乳にこだわっていたわけではないのですが、娘が母乳だったし、息子もあたりまえに母乳で育てていました。
しかし、6ヶ月検診のときに体重増加不良で入院が決まりました。
当時30代母には、かなりきついことでありました。
当時の写真を見るのがつらい
正直なところ、当時の痩せた息子の写真を見るのは、すごくつらいのです。
夫がどうしてその写真を見ていられるのか、アルバムに入れておけるのか。
体重増加不良って、母親の責任、で、す、よ、ね。
あとになって、その当時の担当医の言葉、保健センターの担当者との対話を思い出したときに、「そうか、わたしはネグレクトの疑いをかけられていたのだ」と気がついたのです。
保健センターの担当者さんは親切な人で、自分が子供を虐待したと疑われたときの話をしてくれたのですが、それって、つまり、その当時のわたしのことでした。
担当者の女性は、暗に(わたしも虐待を疑われたことがあるんですけどね)という話をしてくれたわけなのです。
ということに、気がついたのは数年前のことです。
もっと、ストレートにいってくれないか。
当時、まったく気がつかなかったんだ。
紹介されて通っていた桶谷式母乳マッサージの先生に「6ヶ月検診のときに、ここに通っていることを伝えなさい」といわれたのも、ネグレクト疑い回避的ななにかだったのかもしれない、とあとになって、ずっとあとになって気がつきました。
体重が少なくて入院するというのは、ほんとうにすごく体重が減っていたわけなので、その当時の写真、その前後の写真というのは、痩せこけた感じの、見るのがつらい写真なのです。
そんなふうに感じているのは、わたしだけなのか、夫は気にしていないみたいでした。
それで、見るたびにつらいので、その写真を処分しました。
息子の写真ですけど、3枚くらいやぶいて捨てました。
息子と病院の話をする
息子が体重増加不良で入院したという過去は、なによりわたし自身をさいなんでいました。
いまでは(当時も)、だれもわたしを責めることはないのだが、なによりわたし自身が。
ずっと心の中に、記憶の中に、ひっかかっていたのです。
息子を見つめるわたしのまなざしに、一片の翳りをあたえるのであった、というような。
わだかまり。
それで、先週。
その写真を3枚ほど捨てた翌週のことでしたが。
息子と道を歩いているときに、救急車のサイレンが聞こえました。
救急車はまっすぐ山沿いの道へむかいました。
その方向には、大きな病院があるのです。
かつて6ヶ月だった息子が入院していた病院です。
(40代母)「きっと○○病院にむかっていったんだよ」
(息子)「○○病院?」
(40代母)「うん。大きい病院」
(ひとしきり、○○病院について話す。長期入院の子供もいるので、病院の中に学校があるということなど)
(息子)「じゃあ、けけがたいへんな病気になったら、○○病院に行くんだねぇ」
(40代母)「けけは、赤ちゃんのときに○○病院に入院してたことがあるんだよ」
(息子)「エッ。なんで入院したの?」
(40代母)「赤ちゃんのときだけど、おっぱいがうまく飲めなくて体重が増えなくて、入院したんだよ」
(息子)「へー。知らなかった。それでどうだったの?」
(40代母)「入院して、ミルクを飲むようになって、すごくよく飲んだからふとって退院できたんだよ」
(息子)「そうかー。だからいま、ここにいるんだね」
(40代母)「うん」
わたしはなんでもないことのように話してみせたけど、すごくつらかったんだぜ、という話です。
ゆるし、があるとしたら、こーいうことなのかもしれないなー、と。
責めがあって、許しがあるとするならば、こんななのかなァ、と。
責めているのは自分、許すのも自分しかないんですけど。
いま、ここにいる息子を見つめていようではないか、と。
そんな気持ちになれたわけです。
ではまたー。