ガラクタのために、どこまでのことをしたいと思いますか?

ちゃぶ台イメージ 捨て活
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夫の実家には、故義父の残した事業用のガラクタがたくさんあります。

事務所と呼ばれる場所があって、そこは物置状態らしいです。

嫁のわたしは、なかを見たことがありません。

そのほかに、土建業で使っていた板や丸太がほったて小屋みたいなところに、山ほどあるんですねー。

農業用具もまざって、とにかくいろいろあるんですねー。

そんなガラクタのために、義兄がけがをしたことがあります。

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素人がトタン屋根の修理をする

ちゃぶ台イメージ

義兄はインドアな人です。

太ってはいないけど、内脂肪はありそうだけど、身軽ではない。

ある年に、故義父の残した土建業の板切れみたいなのがつまっている、ほったて小屋のトタン屋根がこわれました。

義兄は素人ながら、義母にたのまれて修理をはじめたそうです。

 

義兄は素人です。

身軽でもありません。

素人がおっかなびっくり、および腰でトタン屋根の上に乗るわけです。

トタン屋根はさびて欠けて、いつこわれるかわからない状態。

 

はい、落ちたー。

義兄さん、落ちましたー。

 

さほど高い場所ではなかったそうですが、落ちたはずみに腰を痛めたそうです。

そんなわけで、トタン屋根修理に夫がさそわれました。

いまから3年くらい前のことでしたかね。

 

もうほんと、やーめーてー。

わたしは夫に「屋根を修理するよりも、あのガラクタを捨てたほうがいいよ。どうぜせ、いつか捨てなきゃいけないモノなんだから」という話をしました。

40代妻の意見に、夫も同意するわけなのですけれども、わたしは嫁、夫は末っ子。

義母(実母)、義兄(長兄)に従わないわけにはいかない。

 

ということで、ある長期休みの帰省、夫は屋根修理に従事しました。

これで夫が屋根から落ちたら、いったいどうすんじゃい、という40代嫁の胸のうちを義母も義兄もわかっちゃくれません。

だって、夫が修理しないなら、義母がやるっていうんですよ。

なんというおどし文句なんだ。

夫がやるしかないじゃないですか。

 

まー、夫はなんとか修理を終えて、トタン屋根からおりました。

無事だったからよかったですけど。

どうにも釈然としない40代嫁です。

 

いつかだれかが、いまわたしが

いつか、だれかが、あのガラクタを処分することになる。

だれもがわかっているはず、です。

義母だって、義兄だって、夫だって、わかっているはず。

でも、片づけようとはしないのです。

 

置く場所にめぐまれているからかな。

夫の実家はガラクタを捨てなくても、置いておけるんですよね。

片づけるってめんどうなことですから。

 

でも、ガラクタのためのトタン屋根の修理で、義兄は屋根から落ちて腰を痛めています。

そのていどで済んでよかったですね。

ガラクタのために、ですよ?

そのガラクタ、義兄にけがをさせてまでとっておく価値がありますかね?

 

あれだけの量のガラクタだから、捨てるのはたいへんだと思います。

たいへんだけれど、いちど捨ててしまえば、もうあのガラクタにわずらわされることはありません。

だれかが重い腰をあげなければいかんのです。

 

あれらの処分作業は、きっと、夫にまわってくる気がします。

あるいは、さくっとまとめてお金で解決ですね。

いつか、だれかが、かならず処分することになるモノ。

 

せめて自分のモノは、自分で処分していこうと思う40代主婦です。

早めに、いま、自分にできることを。

 

ではまたー。

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