年末に、夫の実家から雑多なものが送られてきました。
野菜だったり、ナベだったり。
そのなかに、「家の光」という雑誌が入っていました。
「家の光」はJAが出している雑誌で、どちらかといえば婦人向けの雑誌、年末には家計簿が付録としてついています。
義母はおつきあいで「家の光」を購読しており、あまり読まないので、わたしにくれます。
一般の書店にはならんでいない、農業をしている人向けの雑誌です。たぶん。
エンディングノートという付録
エンディングノート、終活ノート、といったもの。
年末の「家の光」には、家計簿のほかに、エンディングノートが付録についていました。
義母も関心をもって、手元においたみたいです。
エンディングノートに関心があるのは、家族を見送る最後になにか思うことがあったり、困った経験があるからじゃないかな、と思います。
義母が送ってきた「家の光」にも、夫が亡くなったあとの困った体験談が掲載されていました。
そのご主人は、泥棒よけとして、いろいろなところに大切なものを隠しておく習慣があったそうです。
どこになにがあるのか、本人が亡くなったあとになって困ったのは、奥さまです。
宝探しのように、いろいろなところから、大切なものが出てきたそうです。
最終的に、たくさん探し出したらしいのですが、果たしてこれがすべてなのか、実はもっと資産があったのか、わからないという話でした。
自分が残すもの
自分をふり返って考えてみますと、わたしに隠すほどの資産はありません。
保険証券、銀行口座はまとめて置いてあります。
わずかな貴金属。
のぞみは、わたしのノート類をいざぎよく処分していただくことでしょうか。
ノート類も、急なことがなければ自分の手で処分できる分量です。
家族共有のものに見えて、そのじつ、わたししか使わない手芸道具、ミシン。
こういうものがホコリをかぶって取り残されていくような気もします。
そう考えると、わたしと夫のアルバムはもっと減らしておくべきでしょう。
夫は捨てないだろう、と考えて、わたしのものを減らしています。
死後に子供たちに残したいものは、ないなァ、と思ったのですが。
強いていうならば、思い出かな。
いっしょに見たものやいっしょに行った場所、そんなのを思い出していただければ。
それから、あー、あれって、そういうことだったんだ、とあとになって共感してもらえることがあったら、存外のよろこびです、という気がします。
60歳としたら20年に欠け、80歳としたら40年に欠ける、現在40代主婦です。
ではまたー。