さいきん読んだ本で紹介されていたのが、「私の大切なもの」ワークでした。
とても感心して、その章を読んだあと、これは各所で話題になっているのを、わたしだけが知らなかったのではなかろうかと思って、検索いたしました。
すると、いくつか似たようなワークがあるらしいのです。
あるものは、死の疑似体験であるといい、またあるものは自己理解、価値観である、と。
ざっと読むと、だいたいおなじ手順を踏んでいるワークが幾種類かあるみたいでした。
大切なものを手放すとき
わたしが読んだ本の中に書いてあったワークでは、まず1枚の紙を9枚に切り分けます。
切り分けた紙1枚につきひとつ、自分にとっての大切なものを書いていきます。
大切なもの、大切なひと、大切なこと、など、さまざまな大切ななにかを書きます。
はじまりは大切なものを書いた紙が9枚、自分の手元にある状態です。
ワークでは、まず3枚を手放します。
手放すカードは、やぶります。
わたしが読んだ本では、もともと高齢者施設の職員研修でおこなわれたワークとして紹介されているので、大切なものを手放す理由として、高齢になったこと、施設にはいるため、などの理由があります。
次にまた、3枚のカードを手放し、やぶります。
最後に、さらに2枚を手放し、やぶります。
そうして、さいごに1枚だけを残します。
この、たいせつなものを書いた紙をやぶる、という作業がなかなかに心をえぐります。
さて、さいごに残した1枚についての4つの質問。
この4つの質問の回答が各人おもしろい、考えさせられるわけで、1人よりも複数人の意見を聞くことに意味があるように思います。
本の中では、このワークを高校生がおこなったときのようす、40~80代の男性たちのばあい、と書いてあって、それぞれおもしろいです。
以上、高校の家庭科の先生、南野忠晴さんの「シアワセなお金の使い方――新しい家庭科勉強法2」「シアワセなお金の使い方――新しい家庭科勉強法2」(岩波ジュニア新書)の1章、1時間目を参考にさせていただきました。
南野忠晴さんは、男性で、英語教師から家庭科教師になった先生で、それについては1冊目の「正しいパンツのたたみ方――新しい家庭科勉強法」(岩波ジュニア新書)の「はじめに」に書いてあります。
わたしは娘が中学生になるまで、いまの中学生が男女ともに「技術・家庭科」を両方ならうと知りませんでした。
生きる力としての家庭科、南野忠晴さんは「生活力」と表現しています。
手放す体験、痛み
ちなみに、ネットで検索して知った、死の疑似体験版の場合は、さいごの1枚も手放し、やぶり捨てるというエグさ。
そうか、死の前では、すべてを手放すことになるのだ、という。
自分がなにを大切に思っているのか。
やがては、すべてを手放すことになる、だからいまを大切にする。
手放す痛みを知る。
紙に書かれた単なる文字なのに、やぶるときにはためらって手が止まる。
それが大切なもの。
ではまたー。