もともと、新刊本、ベストセラーを手にとる習慣がありませんでした。
ひたすら古本古本の時代があり。
本を、紙袋にためこみ、ダンボールにためこみ。
一生こんななのかなと思っていましたが、処分しました。
97%くらい、処分しました。
本を処分してから
紙が好きです。
紙媒体が好きです。
捨てられるわけないじゃないですか。
そういう思いを、頭がぼうっとするくらいの抵抗を感じながら、本を処分していきました。
あれを捨てられたのだから、これも捨てられる、というような感じで、いっきに手放したあとは、あれもこれも処分できました。
取っておいてもいいのかもしれないけれど、捨てたあとの自分に興味があったからです。
わたしは変化を求めていました。
服だの化粧品だのを捨てたところで、ほかの人はともかく、わたし自身の変化は期待できませんでした。
もっと、心をそぐような、心がそがれるんじゃないかと想像できるようなものを手放していかないと、わからないことがあるんじゃないかな、とかなんとか。
自分の価値観と、自分の執着とを考えながら、捨て活をすすめていきました。
本を処分したときには、本を処分することよりも、これまで本を大切にあつかうことのできなかった自分を責める気持ちがありました。
本があるべき場所、本棚に入れてあげることすらできなかった、という。
自分が大切だと考えていた本に対してすら、この仕打ちか、というような。
だから図書館を利用する
本というモノ、本という体験。
モノを手放しても、体験は残る、ということでしょうか。
モノを求めているのではなく、体験を求めているから、図書館から借りた本を読んで満足します。
たいていの本は、公共の図書館から借りることができます。
逆に図書館では借りられない、あれやこれを所有することにこそ意味があると考えることができるわけです。
わたしが利用している公共の図書館の場合。
ネットから図書館の本を予約すると、予約した本が届いたらメールでお知らせが届きます。
有料のサービスを利用すれば、宅配も利用できます。
いやー、便利な世の中になったものです。
自分が所有していなければ本が読めない、という時代ではない、のだ。
とりあえず、そんなふうに考えることにして、便利なシステムを生活に取り入れています。
ではまたー。