死んだらどうなるの?
という、ある意味おきまりの質問が息子から寄せられました。
これは答えにくい質問ですね。
自分の死生観をためされているのか?
魂の話になってしまった
息子が知りたいのは、死んだら、いまこうして考えている、いまの、この自分はどうなるのか?
ということらしい。
死とは、自分という意識を失うことなのか?
これ、わからんところじゃないですか?
多くの人が疑問をいだき、考えても、答えは見つからない。
なぜって、答えが見つかったとき、死んでいるからさ。
伝えるすべがないからなのさ。
という話をして、息子は「あ、そうか」といっていましたけれども。
それから、たましい、という考え方がある話をして。
とび森の質問にもあった、生まれ変わるという考えかたを話しました。
あとで、息子がおなじ質問を夫にもしていて。
夫もわりとまじめに答えていたのですが、夫もまた、たましいというものについて話し、生まれ変わる、という考えかたがあることを話し。
と、なんだか、わたしとおなじような話をしているのでした。
似たような考えかたをしているのは、わたしと夫とが2歳ちがいの同世代であること。
世紀末、ノストラダムス、あなたの知らない世界、といったような、おなじ情報を見聞きして育ったからなのかなー、と。
そんなふうに思うのです。
2人とも息子にむかって、死んだら天国に行って、お空からみんなを見守っているの的な話はしなかったのです。
そういう話し方もあると思うのですが、息子が知りたかったのは、死んだときの自分の意識というか、心というか、いまいる自分。
それで思い出したのですが、わたしが死んでしまったら、わたしの心の中の父はどうなるのだろう、という、詩の一節の、正確な一節が出てこないのです。
たしかそんな、くだりだったのですが。
「証言・臨死体験」を読んでみた
それから、思いあたって立花隆著「証言・臨死体験」を読みました。
クレアという雑誌に連載されていたもので、インタビューということもあり、読みやすかったです。
おなじ著者に「臨死体験」上下巻があったのですが、図書館ではならんでおかれていました。しかし当日は、受けとるべき予約図書もあり、上下巻かー、とも思い、今回はやめておきました。
もともと「臨死体験」というNHKの番組で語りきれなかったことを、「臨死体験」上下巻に書いた、という話です。ワクワク
死を考えることが、生を考えることになる。
自分だけの生を生きなければならないし、自分だけの死を死ななければならない。
とても興味深く読み終えたのですが、これを息子の質問に対してどう生かせというのだ、という気持ちです。
ではまたー。