夫の実家に帰省して、義母の発言についてさまざまな憶測をしている40代嫁です。
なんというか、性格的に、そういうことをぐちぐち考えるのが好きなのです。
ふ、ふ。
今回も、もしかしてそーいうことなのかなー、みたいな感じで、いろいろコネコネと考えてみました。
お義母さんの苦労話まとめ
- 義母は子供のころに実母を亡くし、継母に育てられた。
- 継母は義母を希望する高等学校へ通わせてくれなかった。(学力的にトップ校に行けたのに、近所の学校へ行った)
- 子供のころの体験から、義母は神も仏もない、と思った。
- 「酒も飲まない、タバコも吸わない」夫(義父)と見合い結婚したが、ウソだった。(女は作らなかった)
- 妊娠していても畑仕事。(「あんた、いつ産んだの?」とご近所にいわれる)
- 母乳が出なくて「ミルク代をください」というのがせつなかった。
- 末っ子なのに家を継ぐはめになった夫(義父)は、いい年して「ちゃん」づけされて、小姑たちがおこづかいをくれて甘やかし放題。
- 土地を売った1億を夫(義父)がぜんぶ飲んだ。(バブル時代らしい)
- 夫(義父)が連帯保証人になっていて、借金の支払いに追われた。
- 50代の夫(義父)が倒れて、介護が10年以上続いた。(まだ介護制度がなかった時代)
聞いた話をまとめると、だいたいこんな感じです。
わたしは生前の義父にはお会いしておりません。
苦労仲間
義姉のお姑さんというのが、義母に負けずおとらずの苦労エピソードの持ち主です。
出生はもちろん、結婚、夜逃げ離婚、1人息子を女手ひとつで大学まで出して、苦労して育てた息子はぜいたく大好き。
ということで、お義母さんは義姉のお姑さんにすごく共鳴しているっぽいです。
「あんたも苦労してるからねぇ。わかるよ」
というのが、今回の帰省のとき、いっしょに食事した席での、義母から義姉のお姑さんへのさいしょの声かけだった、と夫がいっていました。
それにたいして、義姉のお姑さんは「はいはい」って感じで受け流していたそうです。
わたし個人の感想としては、義姉のお姑さんの耳、みごとな福耳だったんですよね、そして、なんだか、達観しているようなまなざし。
わが家の子供たちを紹介されても、へんにほめたりするのじゃなく、うなづきながら「ああ、そうかい」くらいの対応で、わたしは好ましく感じました。
飛び出さなかった義母
今回の帰省中、義母が「わたしもなんど家を飛び出そうとしたかしれないよ。でも、100万ばっか持って家を出ても、すぐになくなるでしょう。いまも離婚して、貧困なんてあるじゃない」といっていました。
100万、というのは当時の義母のヘソクリだったのでしょうか?
なぜそんな具体的な金額が出てきたのかは、ナゾです。
義母から、亡義父(義母の夫)やばいエピソードをくり返し聞かされる義兄は「もうオレ、そんなの聞きたくないから」といっているらしいです。
そりゃそうだ。
義母は「○○(わたしの夫)にはいってないんだけどね」といっていたけど、夫も聞いてるし、わたしも帰省中にくり返しなんども聞いています。
売った土地代が1億って具体的になったのは、はじめて聞いたけどー。
そういえば、義父エピソードは年を追うごとに、具体的にハードになってきております。
夫もギョッとするような、マル秘エピソードが出てくることがあるんですよね。
ま、お義母さんも、もう80歳をよゆうで越えているからね。
なにはさておき、お年寄りのいうことですからー。
やらなかった後悔
けっきょく、お義母さんは家を飛び出さなかったわけですけど。
いっぽう、義姉のお姑さんは飛び出していった人なわけですよ。
お義母さんはやらなかった後悔がずっとあとを引いているのかなぁ、と思いながら、亡義父のやばいエピソードをくり返し聞いた40代嫁です。
ただなー、そこでお義母さんが家を飛び出しちゃってたら、わたしと夫は出会ってなかったんですよね。
女手ひとつで3人大学進学はなかっただろうなァ。
そもそも、お義母さんが思いきりよくさっさと家を出ていたら、夫は生まれていなかったかもしれません。
だって、お義父さんはかなり初期の段階から問題のある男性みたいだったのでー。
と思うと、お義母さんのがまんや苦労が夫の誕生につながって、わたしとの出会いとなっているわけです。
なんだかなー。
思えば、わたしの誕生もあれやこれやの選択の結果なんですよね。
苦労している人じゃないと
そんなこんなで、義兄は独身です。
5年前くらいは、まだ婚活をしている話があったと思います。
結婚相談所に行っていて、なぜかそこの受付の既婚女性と親しくなったエピソードを聞いた記憶があります。
夫が「受付のおばちゃんと仲よくなっても意味ないだろ」といっていました。
せめて、受付の女性が独身だったらチャンスだったのになァ。
かつてわたしも、義兄の結婚に意見を述べたことがあります。
それは、その手のアピール写真に、とりあえず姪や甥といっしょの写真、あるいは犬猫といっしょの写真を使ったらいいですよ、という戦略でした。
義兄は子供好きでも動物好きでもありません。
でも、あえてそういう写真を見せることによって、相手が勝手にかん違いするのをさそう作戦です。
しかし、わたしの作戦には義母も義兄も乗ってくれませんでした。
実際に使った写真は、「玄関先で写した丸坊主の白シャツ姿で、なにかの宗教みたいな写真」(夫談)だったそうです。
思い返すに、義母自身がお見合い結婚でダマサレタ感が強かったので、義兄の写真には、わたしが提案したような誤解をまねきそうな写真を使いたくなかったのかもしれません。
そして、義母の近所の「まだ結婚する予定はないけど、いつお嫁さんが来てもいいように大きな家を新築した」というご家庭には、外国からお嫁さんがやってきたそうです。
その家は、わたしたち夫婦が結婚のご報告にうかがったご近所の1軒で、ピカピカの銅製の雨どいがあって、玄関がバーンと広くて、シューズクロークがあって、わたし、そんな家を初めて見たからびっくりしました。
わたしは心のなかで、田舎こわい、お嫁さん来ていないのに大きな家建てちゃって、お嫁さんを待ちかまえているんだ、そんなところに入っていく女性いるのかな、と思いました。
でも、いた。結婚した。
そのときに、「このさい外国人のお嫁さんでもいいんじゃないですか」と思ったけど、口には出せなかった当時30代嫁です。
義母は以前、「(義兄には)苦労を知ってるお嫁さんじゃないとね」なんて、いっていたんですよね。
それがどういうことか、というと、義姉のお姑さんみたいに「あんたも苦労したね。わかるよ」っていえる相手が欲しいんじゃないかな、って。
相手の苦労に共鳴して、自分の苦労に共鳴して欲しい。
「わたしもそうだったよー」って。
そういうことなのではなかろうか、と40代嫁は思いいたったのでありました。
お義母さんは、まだまだ苦労が話し足りないのだ、と思います。
自分の苦労を話して、相手の苦労を聞いて、「うんうん、わかるよー」ってしたいのかなー、と。
なーんか、そんなことをつらつらと考えていた40代嫁です。
すでに、義兄の結婚については、だれもなにもいっさいいわなくなっておりました。
ではまたー。