わが家の場合、姉弟です。
娘は高1、息子は小5。
5歳違いの姉と弟です。
しかしそれでも、そーゆーふーに感じるのだなァ、あぶないあぶない。
そんな朝のできごとを、今後のいましめ的に書いておこうと思います。
こういう積みかさねが、たぶん、確執を生む。
長年つちかったものが、ということでメモ。
高1娘をいからせた翌朝

ある朝とはいうものの、まえの晩に高1娘をいからせた明くる朝という特別な朝です。
こうした朝は、まだどこかピリピリしていて、でも親であるわたしが雰囲気の懐柔に乗り出さねばなりません。
そんな自覚を持った40代母の朝。
まー、一夜明けて、高1娘のいかりはだいぶおさまっていました。
まだ娘の表情はかたいものの、たわいない会話のやりとりで、そう感じました。
ですから、高1娘が高校から帰ってくる頃には通常どおりになっているであろう、と確信した40代母です。
しかしそこで、わたし、小5息子にこう声をかけてしまったのです。
「飲むヨーグルトあるよ。飲む?」
40代母の視界のはしに映る、高1娘の顔がこわばりました。
もちろん、40代母はその表情の変化を見逃しませんでした。
やらかしたー、やってしまったー、高1娘の朝食のときにはそんな声かけをしなかったのに、小5息子には「飲むヨーグルトあるよ」って声かけしてしまったのです。
高1娘の顔の変化はつまり、「わたしのときはそんなこといってくれなかったじゃん!」という意味です。
気がつかなければ気がつかないでスルーできるけど、わたし、そういうのに敏感に気がついてしまって、でも、もう高1娘も出発する時間だし、あわただしい朝だし、むりやりスルースルースルー。
高1娘が表情の変化だけで怒り出さなかったことに感謝しつつ、40代母は胸をなでおろしました。
高1娘の帰宅直後の行動
そして、その日、高1娘は帰宅するやいなや、小5息子に「飲むヨーグルト、飲むぅ?」とたずねました。
小5息子は「いいー」と答えました。
そして高1娘は、飲むヨーグルトのさいごの1杯を飲み干した、というわけなのです。
ほんとうに、どうでもいいことなのですが。
それを見ていたわたしは、思わず高1娘に朝の話をしました。
朝、娘に飲むヨーグルトについて声かけしなかったのは、その時点では飲むヨーグルトの存在を忘れていたこと、小5息子に声をかけたとき、高1娘が「わたしにはいってくれなかった!」という顔をしたのを気づいたこと、それで飲むヨーグルトをぜんぶ小5息子の分にせずに残しておいたこと。
もー、ほんとーに、どーでもいい感じの、ささいなことなんですけどー。
わが家はふだんジュースを買い置きしていない家庭で、飲むヨーグルトがあるのはめずらしいわけで、だから子供たちはそりゃあ飲みたいわけです。
「朝、いわなくてごめんね。でも、忘れてただけだから」
そんな言葉をそえて、高1娘の傷つきやすい心のケアですよ。
たかが飲むヨーグルトであっても、だ。
高1と小5であっても、だ。
いわゆる兄弟間のあれこれって、ほんとうに根深いものだったりするわけで。
わたしはできれば、姉弟が仲のよい関係であって欲しいのです。
多少、娘に甘いと思うんですけど。
ただ、それが逆だと、多分ヤバイので、このくらいがちょうどいい、と思っているのですが、ほんとうのところはよくわからないですよね。
息子にがまんを強いている部分があるのは自覚していて、ただ、娘の性格の激しさを考えるともうちょっと娘が成長して家を出るくらいしないとむずかしい。
わたしの中のキョウダイバランスで考えた場合、ですけど。
そんなことを思い返しますと、わたしはやはり他人の表情の変化に敏感だと思いますし、そういうのを自分勝手に解釈して疲れてしまうタイプと思うので、できれば他人と関わらないほうが気楽に過ごせるのではないか、となるのです。
というか、高1娘が単純すぎるんじゃないの―。
素直すぎてさー、まるわかりなんだよー、っていう。
だから、高1娘がおこるとわかっても、これだけはいっておかないとっていうことはいうんだけど、そういう自分の正論的なアレコレ、ほんとうは自分でも好きじゃない気がしています。
娘はわかっている。
ということを、ときどき忘れている自分がいます。
そして、姉弟間の問題じゃなくて、親子間の問題すなわち母と娘、わたしと娘ってことになるんですよね。
まー、それはそれとしてー。
ではまたー。