高1娘が「いらない」といった制服一式を、半年近くわたしの服のとなりにかけていたのです。
捨てがたし。
思い出?
勝手な思い入れ?
なにか胸にこみ上げてくるんだよー。
目のまえに高校生の娘がいるっていうのにさ。
娘の中学校の制服を見て、じわーんと感じていた40代母でした。
制服をゴミ箱に入れるまで

すでに高1娘の気持ちは、中学校の制服にはないのです。
娘にとっては、中学時代ってあまりよくなかったからだと思います。
そう書いていて、自分もそうだったよな、といまさら思い返します。
わたし自身も自分の制服なんかいらんかったなー。
そうか、そんなものか。
ただやっぱり、値段ですか?
何万か出して買っている制服。
お金を出した側の人間だから、なんだか制服が捨てにくかったのかな。
ランドセルを捨てるときも、買ったときの値段を考えたときには、ウーンとなったんですよね。
ただ、ランドセルは6年間、中学の制服は3年間、めいっぱい使って、お世話になりました。
それでいいんじゃないかな、ってことで捨てました。
ゆずる相手がいないわけですし。
もちろん、リサイクルする方法もありました。
しかし、めんどうだなと思ったら手が止まってしまったので、そのまま捨てました。
なにかー、いつかー、だれかー、とホコリだらけにしていくよりも、いま捨てる気持ちをふるい立たせてゴミ箱ポイしました。
いったんゴミ箱に入れてしまえば、そこから取り出す理由がありません。
だって、もう使わないのだから。
期間限定、めいっぱい使って、おしまい。
学校のものって、そういう意味ではわかりやすいですね。
そのとき思う存分に使えば、それで十分じゃないかー。
そうはいうものの、高1娘の高校の制服も、卒業しました、即捨てました、とはならない気がします。
しばらく胸の中のじわわーんを味わってから、処分する気がします。
ちかごろは地元の女子中学生の制服姿を見て、じわわーんとしています。
手元に制服がなくても、じわわーんてするんだなァ。
だって、高1娘はもう二度と中学校の制服を着ないわけじゃないですか。
だから、娘の制服はいつまで取っておいても中身はからっぽなんですよ。
それで、すれちがう中学生の制服姿に、なつかしさを感じて、勝手にじわわーんとなっています。
よそのお子さんに勝手にじわわーんとなる不思議。
そんなわけで、じわわーんを味わいたいために娘自身の制服を手元に置く必要はないのだ、という結論です。
ではまたー。