娘は中学1年生のある朝までサンタクロースの存在を信じていました。
どうやら娘は、わたしたち夫婦が早朝に今年のクリスマスについて話しているのを聞くまで、クリスマスプレゼントを用意していたのが両親だとは思わなかったらしいです。
つまり、サンタクロースの存在を信じていた、のです。
娘は、友達に「サンタクロースは両親」といわれても、否定していました。
中学生になってもサンタクロースの存在を信じてくれている娘に、「ごめん、それ、両親が用意してたんだ」なんていえない、と夫とひそひそ話していました。
いつ、どの話を娘に聞かれたかさえ、われわれ両親にはわかりませんでした。
でもまあ、娘に面と向かって「いままでプレゼントを用意していたのはわれわれなのだよ」なんて、いえなかった気がするので、それはそれでよし、です。
また、子供たちのプレゼントを両親が用意することと、サンタクロースの存在とは別問題です。
サンタクロースから直接プレゼントをもらった経験がないからといって、それはサンタクロースの存在を否定するものではありません。
という点をたいせつに思っています。
娘はサンタクロースからニンテンドー3DSをもらった
あれは、娘が小学3年生のクリスマスの朝。
娘へのクリスマスプレゼントは、欲しがっていた ニンテンドー3DSではありませんでした。
娘はがっかりして、「サンタさんめ~」といったのです。
翌年のクリスマス、小学4年生になっていた娘が欲しがったのは、やっぱりニンテンドー3DSでした。
娘はサンタさんへの手紙を書きました。
娘のクリスマスプレゼントは、ニンテンドー3DSと太鼓の達人のソフト、画面保護シール、ACアダプターまでついていました。
なんて用意周到なサンタさんなのでしょう、と思った当時30代主婦。←買った本人です。
もちろん、当時30代母は「3DSなんて……、サンタさんたらよけいなことをして」とプンプンです。
そして、娘はニヤニヤ。
その後も、わが家にやってくるサンタさんは、クリスマスのたびに娘の好きなゲームソフトを持ってきてくれたのです。
それはもう、子供(娘)の味方だよね。
と、いうことで、たぶん、娘はサンタクロース(クリスマスのプレゼントをくれる人)と両親は別人と信じていたんじゃないかなー、と思います。
それに、サンタさんとは別に、親からのクリスマスプレゼントとして簡単なものを渡していました。
クリスマスの思い出とは
わたし自身のクリスマスには、子供なりのしょんぼりする記憶やかなしい記憶があります。
わたしの実家は、家族の誰の誕生日も祝わないのだが、ゆいいつ誕生日に祝ってもらえるのがイエス・キリストであるという仏教徒の家庭である、というこっけいさに気づいたのは成人してからです。
そんなクリスマス経験者なので、クリスマスのたのしい思い出というのは他人の話を読むものでありました。
わたしの記憶にのこっているクリスマスは、どなただったか、新聞のインタビュー記事に載っていた年配の男性の、文学者であったか、だれか著名な人の、子供のときのクリスマスです。
クリスマスの朝に、親の隠しておいたクリスマスプレゼントをさがしに家じゅうを駆けまわるのがたのしみだった、というのです。
それから、アガサ・クリスティ―の「ポアロのクリスマス」、「クリスマス・プディングの冒険」、年老いて、なお思い出す子供の頃の思い出。
まー、そういうのを残せたらいいよね、そういうのがあるのっていいよ、と思って。
娘が、友達に否定されてなおサンタクロースの存在を信じてくれた時点で、わたしの中のクリスマスの暗い穴はふさがったのではないだろうか。
そんなことです。
ではまたー。