娘が中学1年生になってもサンタクロースを信じているらしい、どうするどうする? と夫と話し合っていたころがなつかしい40代主婦です。
娘には、クリスマスプレゼントを用意していたのが両親である、とばれました。
サンタクロースについては、だますだまさない、ではないんですよね。
サンタクロースはいる、という前提で。
しかし、そういえばわたし、娘をだましていたことがありました。
それが、わたしが抜け忍だった、という話なんですけれども。
ホラばなしが好きです
「なにいってんの、うそでしょ?」
聞いたとたんにだれもがそう思う、そんなウソ。
そんなウソついても、なんの役にも立たないよね? そんなウソ。
ホラばなしが、好きです。
おさない子供にいってきかせるホラばなしといったら、おじいちゃんおばあちゃんとか、お父さんにいってほしいんですけど。
夫がそういうタイプではなかったので、ついわたしが話して聞かせてしまいました。
「かあちゃん、忍者だったんだよ」
もちろん子供(娘)は信じません。
「じゃあ、なにか、やって見せてよ」
「そんなこと、できるわけないでしょ。かあちゃんがいま、ここにいるってことは、もう忍者じゃないの。抜け忍なんだよ。いまもどこかから見張られてる。術なんかつかったら、すぐばれるから」
そんなやりとりが、小学3年生くらいまではつづいていたと思います。
断続的に、思い出したように娘がたずねてくるのです。
「かあちゃん、忍者だったんだよねぇ」
(あれ? まだ信じてる???)
もちろんわたしは「そうだよ」と答えます。
自分が忍者である、ということに関して、わたしはとうとう否定しませんでした。
抜け忍であり、いまは主婦をしている、という話のまま終わっています。
さいごに忍者の話をしたのは、たしか娘が小学3年生くらいでした。
そのときには上記のように「かあちゃんは忍者だった(納得)」くらいの確認の会話でした。
ということは、娘は自分の母親が忍者である、という非現実的なことを受け入れつつ、なにごともなく暮らしていたのでしょうか。
そしてある日、とうとつに「それはないなー」と気づいたのでしょうか。
子供の柔軟な魂は、目のまえの当時30代主婦を抜け忍として認め、かつ母として慕うことができるのだ、ということでしょうか。
自分でいっておいて、いまさら娘には「忍者」についてたずねることができません。
それともとうとつに、「かあちゃんはほんとうは忍者じゃないんだよね? 知ってた」といわれるのでしょうか。
なぜ、わたしが「自分が忍者である」というしょーもないホラばなしをしたのか、といえば、娘が「忍者になりたい」といい出したからでした。
「どうしたら、忍者になれるの?」
それにたいする答えが、「じつはかあちゃん、忍者だったんだよ」コタエニナッテナイ
真顔でいうので、信じてしまうのかもしれない。
でも、笑いながらいっても、子供って「うそだーうそだー」といいながら「まさかーまさかー」「もしかしてーもしかしてー」と思ってる気がします。
わたしの考えた当時30代主婦の抜け忍は、ふだんはごくふつうの主婦の生活をしていて、ぜったいに忍術はつかいません。
まだ、忍者の里から見張られていて、忍術をつかおうものなら、すぐにばれて里へつれ帰られてしまうからです。
そうしたら、夫や子供とも離ればなれになってしまいます。←重要
「だから、ぜったいに忍術はつかえないんだよ」
と、最高の真顔で娘に話していました。
中1となった娘が、いまもおぼえているかどうかは、わかりません。
もし、娘が子供を産み、母になったときには真実を話してもいい。
そんな気がします。
なんだか、そんな心のナレーションを入れたい感じがするホラばなしです。
まー、さすがに、もう信じてないとわかってますけども。マサカーマサカー
そういう、うさんくさい、なにかよくわからないことを、娘の心に植えつけてみたかったような気がします。
娘には、忍者になって欲しくなかったのです。
ホント、ナニイッテンダコレ、ですよ。
ではまたー。