娘が、今年の初詣にまた「凶」を引き当てました。
むしろすごいよ!
と、当日のLINEでも母からのコメントとして送っておいたわけなのですが。
だって、2回目よ?
高1娘ってば、人生16年に満たずして、凶を2回も引いているんですよ。
善光寺で凶、浅草寺で凶
高1娘は、中3の修学旅行で某県の善光寺に行きました。
中3といえば受験生です。
受験生に凶のおみくじを出す、善光寺って手厳しいなァ。
当時、そんなことを思ったものです。
過去記事⇒中3娘が「受かる」っていいはじめたので。
そして、今年の高1娘。
家族との初詣に参加せず、友達と浅草寺へ初詣に行きました。
そして、浅草寺で「凶」のおみくじを引いた高1娘。
さすが浅草寺、初詣の若者にも容赦ないですね。
善光寺にしろ、浅草寺にしろ、超メジャーな老舗です。
そんなところから、きびしいおみくじをいただけるなんて、娘ってば期待されてるってことなんじゃないの?
ま、そんな感触です。
高1娘は人生の転換期
過去記事⇒占いにはまって、自分を占いつづけた40代主婦の夏休み。
さて、去年の夏、どうかしている感じに占いにはまった40代主婦です。
で、そのときに、自分はもちろん、家族の分も占ってみますわねぇ。
わたしが必死に見ていたのが、四柱推命という占いなのですがー。
それによれば、よくわからないながらも2020年という年が高1娘にとって、すごい年だということがわかりました。
今年の庚子との律音です。
そんな話を夫にしたら、「俺にはソレ(律音)いつあったの?」っていうから、調べてみたら17歳の時でした。
夫、愕然。
その次は60年後だからなァ。
ははは、もう逃しちゃったんだよ~ん。
なーんか、よくわからんけど、運気に乗るというのはそういうことらしく、つまり今年の高1娘はイケイケです。
つまり40代母としては、いつも腰の引けている娘をオセオセです。
実力なんぞ考えなくていいから、棚ぼたでもなんでもいいから、行け。
とにかく行っとけ。
それはさー、娘が中学生のときから、よくいい続けたことなんですけど。
いまになるとよくわかるのだがー、若さにはチャンスがある。
若いときにしか挑戦できないことがある。
だから、やっとけ。
期間限定、年齢制限つきが世の中にはたくさんあるから。
若さに期待したり、若さにかけるしかないようなことがあるから。
娘は娘、わたしはわたし
と、いうわけで。
今年は去年にひきつづき、またしても高1娘の応援です。
たださ、ほんとうにコレ、大丈夫なの? という案件もあるのですが、もはや親であるわたくしがアレコレいう時期ではないのかもしれない、と思うようになりました。
しめきりをぶっちぎるのも高1娘自身の問題です。
わたしはハラハラしてしまって、ゴチャゴチャいいたくなるのですが、わたしがしてあげられることは、ないんだよなァ。
まー、そうなんですよ。
高1娘は、わたしにはわからない未知の分野に進もうとしているのだし。
なんの力にもなれないのに、口うるさくいうだけなら、ほんとうに邪魔な存在です。
しめきりを守れなくて提出できないとしても、それは娘の問題なんです。
もったいない、とか、チャンスをふいにした、と感じたとしても、わたしが口に出すことではありません。
ということをわたしの頭にすり込んで、今週を終えます。
いうなれば、娘にしめきりがあるように、わたしにもしめきりがあるのです。
そのように考えて、それぞれのべつべつの人として、自立していくこと。
そんなふうにありたいわけです。
ではまたー。